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 タクシードライバーとして都内で働いていた裕が実家に帰ってきたのは十五年前のことで、母の骨折がきっかけだった。父の憲一はその二年前に亡くなっており、兄の正志も不慮の事故で三十年前に四十一歳で亡くなっていた。開業医だった父親の憲一とは昔から喧嘩ばかりで、高校卒業後に就職する時、二度と実家には戻らないと決めていた。兄の正志が父親の後を継ぐものと考えていたし、そうなれば居場所もなくなるだろうと思っていた。  しかし思いがけず母の傍にいる家族はいなくなり、退院した後に一人では食事の準備もままならない母を世話できる家族は裕しかいなかった。  悩んだ末に裕は実家へ戻ったが、再就職に思ったより時間がかからなかったこと、社長が母の介護を理解してくれていたのは幸いだった。  途中でケアマネージャーやヘルパーなど、関わる人間の交代はあったものの、裕の役目は介護サービスについての意志決定だったから、仕事を続けることも難しくはなかった。自分自身が脳梗塞で倒れてしまったのは、八十九歳になった母をどうやって看取ろうと考え始めた矢先であった。
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