忘れもの

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 帰ろうとして立ち上がると、「神崎君」という声が聞こえた。振り返るとクラスメイトの川口さんが立っていた。  川口さんはクラスの中で目立つ存在だった。勉強もできたし、容姿もきれいで性格も良い。生徒会長とつきあっているという噂もあり、華やかな存在だった。 「神崎君、机の上に本を忘れていたよね」と川口さんは言った。僕はうなずいた。言葉が出てこない。クラスメイトとはあまり話さない。女子ともなるとなおさらだ。 「あの本の作家好きなの?」 「…うん。文章がきれいで物語の構成も良いから」  やっとのことで言葉を絞り出す。正直、この場所から逃げたい。 「そうなんだ。私、あの作家さんずっと読みたいと思っていたから」  僕の気持ちにかまわず川口さんはどんどん話しかけてくる。 「好きな作家さんがその作家さんのこと好きって言っていたから読んでみたかったんだよね。私も読書好きだし」 「え、読書好きなの?」  意外だった。川口さんの周りにはいつも人がいて、1人で読書しているイメージがなかったからだ。 「うん。学校では読んでないもんね。意外な感じでしょ」  僕の気持ちを見透かしたように川口さんは言った。 「そうじゃないけど」とごまかすように小さな声で答える。 「正直、学校でも読みたいけど、友達に読書好きがいなくて。つい友達にあわせて好きでもないアイドルやドラマの話をしてしまうんだ」 「…でも、僕にはそれができるのがうらやましいけど。そのほうが絶対、生きやすいよ」  川口さんは僕の言葉にうなずいた。 「そうなんだよね。周りにあわせたほうが生きやすいよね。でも、本当の幸せではないかな」  そう話す、川口さんの顔は少し寂しそうだった。  なぜだか、その顔を見ていると僕の心に今までなかった感情がわきあがってきた。 「それで、今から、図書館行くの。そこにいる時、私は本当に幸せになれる。神崎君、良かったら一緒に行かない?」 「えっ、でも、川口さん、生徒会長とつきあっているんだよね。それに、僕なんかといるところをクラスメイトに見られたら悪いんじゃない」 「生徒会長とつきあっているというのはただの噂で嘘。神崎君と一緒のところ見られても大丈夫。今日、神崎君と会えて良かった」 「なんで」  川口さんは僕の目をまっすぐ見た。 「自分の好きなものを隠したくないと思えたから」  そう言い、前を向いて歩きだした。僕もその後を追いかける。この気持ちがなんなのかを整理するのは後でいい。  忘れものをしたことで僕の心は忘れていた何かを取り戻した。
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