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25話
いつものように隣の部屋のチャイムを押せば、待たずとも扉は直ぐに開いた。
三田村も予想していたのだろう、テレビを付けないでいれば部屋の中から隣の部屋のドアの開閉音は伝わる。
大学時代から見慣れた笑顔が出迎えてくれる。お疲れさまと言い合い、香川は部屋の中へ入った。
「これ、はい、ありがと」
冬場はこたつに変わるが、今の時期は楕円形の白いテーブル、その上にはいつものように夕飯が並べられていた。
「いいのに、洗わなくても」
「その位出来るって」
三田村に弁当箱を渡し、テーブルのいつもの場所へ腰を下ろす。
帰宅後着替えてからシャワーを浴び、弁当箱を洗う。最近のルーティンだ。
「暑かったからおかずさっぱりめにしたけど、そうめんとかの方がよかった?」
テーブルの上には水菜の乗った豚しゃぶ、豆腐のサラダ、なすときゅうりの浅漬けがのっている。
「んー……大丈夫、お腹すいてるし……急に暑くなったよな……」
7月中旬、梅雨が明けた途端夏日が毎日続いていた。雨や曇りばかりでも気が滅入ってしまうが、余りにも毎日暑いと体が付いていかない。
「……うちの会社エアコンつけてはくれてるんだけど、やっぱり暑いんだよね……オレ窓際で……背中暑くて……」
「あー……それはなー……」
「三田村のとこは?」
「うちは割と空調効いてるかな……ただ、会社から出た時の温度差にやられる」
「あぁ……それもきついよな……」
二人して暑さを思い出しげんなりする。部屋の中は扇風機が回っているだけだが、日中に比べればましだ。
料理を作っていた三田村は暑かったかもしれない、そう思っているとテーブルに近付いてきた。
「スープ、まだちょっと熱いかもだから冷めてからどうぞ」
「……ありがと」
目の前に置かれたのはおくらとかき卵の中華スープだった。
いつもの食卓、学生時代からかれこれ三年程続いている。
この春から二人は社会人になった。三田村は中堅の家電メーカーに、香川は小さな食品メーカーにそれぞれ就職した。
二人共学生の時から住んでいるこのアパートを出るのだろうと考えてはいた。特に三田村は勤務地がどうなるか分からないと言っていたから引っ越すのだと思っていた。
しかし、決まった勤務地はアパートの最寄り駅からも通える範囲。香川も沿線だった為に二人共継続して住み続けている。
何も、ではないけれど食事風景だけを見れば二人の関係は学生時代から変わらない。
それを三田村がどう思っているのかは分からない。少なくとも香川は新しい環境になっても、変わらないこの食卓に救われていると思っていた。
「夏休みは実家に帰るの?」
長期休みの前には必ず聞いてくる、今回も三田村が質問してきた。
水菜を豚肉で挟み、口に運ぶ前に三田村へ答える。
「んー……GWに帰ったし……分からないなぁ……てゆか、休み、どれ位だったっけな……三田村は?長いの?」
「長いって言っても学生の時とは違うしな、普通なんじゃん?バイトって考えたけど、お盆は休みになるしなぁ……」
金に困っているとか、人が足りないとかではないのに三田村はいまだ居酒屋TAISHOでのバイトを土曜日だけ続けている。
本人曰く料理の勉強だそうだ(給料は貰っておらず、あくまで手伝い、だから副業ではないという持論だ。給料分は食材を分けてもらっているそうだが)
土曜日の夜の数時間だけ、毎週ではないけれどバイトへ出向く。そんな時、香川の夕飯はTAISHOになる事が多い。それ以外でも夕飯を食べによく行っている。
「……ちょっと太ったかな?」
「え?あー……体重計ないからよく分からないけど……戻ったと思う……」
「うん、最近はお代わりするし、よかった」
「……うん」
嬉しそうに目を細めた三田村と目が合い、恥ずかしくてさっと視線を外す。慈しむような、そんな目で見ないでほしい。心配なのかもしれないけれど。
***
4月下旬、本社と工場での研修も終え本格的に仕事が始まってからというもの、香川は体調を崩しがちになった。仕事のストレスからだ。
難しい事をしている訳ではないけれど、小さなミスが重なり叱られる。叱られるのは仕方ないが、ミスをしないようにと萎縮してしまい、またミスが出る。
人間関係も上手くいかなかった。小さな会社なので工場の新人も含め採用は四人。本社には香川ともう一人の女子社員。なんでもそつなくこなし、美人という訳ではないが表情豊かで愛嬌のある彼女は皆から可愛がられていた。
それに比べ自分はまだ仕事も一人前に出来ない上に、皆の輪の中へも入れない。
そんなストレスから食事が喉を通らなくなり、会社を休む程ではないが体調不良のままで会社勤めを続けていた。
三田村も見かねたのだろう、心配して話を聞いてくれたりなるべく胃に負担の掛からないような食事を出してくれたりもした。
会社でも、同期の女子社員は優しさからだろう、体調を気にかけてくれた。
だけど、そんな風に人に優しくされる度に自分がダメだと自覚して、放っておいてほしいと思い、またそんな風に思ってしまう自身に嫌悪する。
負のループだ、そこから抜け出せなかった。
ある日の朝の事。
朝はあまり食欲がない。でも食べないと昼まで持たないので大抵ゼリー飲料を朝食としていた。
その日もゼリーを飲み、行きたくないけど行かないと……そんな風に思っていると玄関のチャイムが鳴った。
「……?」
「香川、まだいるだろ?」
「……三田村」
玄関を開けるとスーツ姿の三田村が立っていた。
近頃心配そうな顔ばかりを見ているが、今日も同じだった。
「これ、持っていけ」
「……は?」
「弁当、昼ちゃんと食ってるのか?夜だって最近うちに来ないじゃないか……ていうか、痩せただろ……」
「……」
「食べなられなくてもいいから、とりあえず持っていってくれ、捨ててもいいし、ほら」
「……三田村」
紙袋を持った手を押し付けてくるので、香川は仕方なく受け取った。視線を落とすと、紙袋の中には弁当箱が見えた。
「それじゃあ、オレ行くけど、香川も遅刻しないようにな、夕飯食べられそうなら来いよ」
「……うん」
「じゃあ、行ってきます」
「……いってらっしゃい……」
最後に少しだけ表情を緩め、三田村は自室へ戻らず廊下を渡り階段を降りて行った。
「……弁当……」
取り残された香川は受け取った紙袋を見つめ、ため息を吐き出した。とりあえず仕事に行かなくては。
いつものようにそこそこの乗車率の電車に揺られ職場を目指す。憂鬱な気持ちは晴れない、電車に乗るだけで最近は体が重く息苦しい。
仕事、辞めたいな……そんな気持ちが浮かんでは心の奥に沈み、時折顔を出す。そんな事の繰り返しだ。
職場に着き、作り笑顔で挨拶をして自分の席に座り室内を見渡す。まだ新人の自分が辞めても困らない……だろうな……。そんな事を考えながらパソコンを起動させた。
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