26話

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26話

 昼休み、始めの頃は職場の皆と食べていたが最近は外へ出る事が多くなっていた。誰かと他愛ない話をするのさえ、苦痛になっていたのだ。  GW明け、まだ梅雨に入っていない事もあり近くの公園のベンチへ腰掛けコンビニのパンを齧るのが日課になっていたが、今日は弁当がある。  どうしようか。紙袋の中には小振りの弁当箱が二つ重ねられ入っていた、その一つを取り出してちらりと中を見る。そこには俵形のおにぎりが並んでいた。 「あれ?今日はお弁当?」 「……あ、はい……」 「お弁当珍しいね、香川君もお茶飲む?淹れてくるよ」 「え……あ……」  隣の席は五つ上の女子社員の笹本だ。断る間もなく、ただその背中を目で追っていると横から声が掛かった。 「弁当作ってきたのか?」  上司である菊池が覗き込むように、香川の机の上の弁当箱を珍しそうに見ている。 「あ……はい……」 「笹本ちゃん、オレにもお茶ー」 「淹れてますよー」 「さっすが」  完全に席を立つタイミングを逃した。  笹本が淹れてくれたお茶を受け取り礼を言う。自分の席で食べても平気だが、社員達は昼食は大抵社内の休憩室で食べている。  どうしようと思っていると、笹本は机の引き出しの中から弁当箱の入っている巾着形の袋を取り出した。 「お昼にしましょうか」 「……はい」  ここで食べる流れになった。それはいいとして、気になるのは笹本から同じようにお茶を受け取ってそのまま香川の机の横に立っている菊地だ。 「何が入っているんだ?」 「えっと……何だろ……」 「自分で作ったんじゃないのか?彼女か?香川、彼女いたんだっけ?」 「いえ……彼女ではないんですが……」  弁当箱は二つ。一つは先程確認している、それをもう一度開くと俵形の海苔の巻かれたおにぎりが行儀よく並んでいた。端にはアルミに包まれたきゅうりとにんじんの浅漬け。  もう一つはおかずが入っているのだろうと想像しながら開ける。  弁当箱は小さめだ、多分女子とか子供が使うようなサイズで蓋にははちみつが好きなくまのキャラクター。  中にはアスパラの肉巻き、卵焼き、玉ねぎと豚肉の炒め物、カットされた煮卵、プチトマト2つ。弁当としては至って普通だと思う、夕飯の残りを詰めたのかも知れない。 「……美味しそうだね、温める?」 「……いえ……大丈夫です……」  一緒に入っていた割り箸を割って、卵焼きを食べる。優しい甘さが口の中に広がる、たまに夕飯に出てくるのは具が入っているものや、塩やだしで味付けがしてある卵焼きだ。甘いのは初めてかもしれない。  でも、その優しい甘さは口の中だけではなく心の中にもじんわりと広がっていく。 「卵焼き美味しそうね」 「……おいしいです……」 「いいなぁ、オレにもくれよ、卵焼き」 「あ……」  香川の返事を待たずに手が伸びて卵焼きが奪われる。もぐもぐと口を動かすと、これは上手いなと称賛し、お茶を一口飲んだ。 「じゃあ、弁当食べて午後もがんばれよ」  香川の肩を軽く叩くと菊地は自分の机に戻っていった。 「菊地さんたら、おかず減っちゃったじゃない」 「……いえ、大丈夫です……」  去っていった菊地に呆れたように言ってから、笹本はじっと香川を見つめた。 「おいしい?」 「……はい」 「ならもっと美味しいって顔しなさい……なんだか泣きそうな顔してるよ……」 「……」 「お弁当作ってくれた人は香川君が心配だったんだね」 「……え……」  弁当から顔を上げ笹本を見る。心配そうにこちらを見る笹本に今朝の三田村を思い出す。同じような表情で自分を見ていた。 「少し痩せたでしょ?ちゃんと食べているか心配してお弁当作ってくれたんじゃない?」 「……はい……」 「……香川君はがんばってるよ、ちょっとずつでいいから、焦らないで行こう……ね……」 「はい……」  新人の教育係でもある笹本が何かと気にかけてくれているのは知っていた。だが、そんな気遣いはいつも香川を苦しめていた。  でも、今日は違う。すんなりと心に響き、言葉が胸の中に落ちる。  多分菊地にしてもそうだ。ミスをしても怒鳴られた事はない、叱って、ちょっと嫌味を上乗せしてくる。  その嫌味ばかりが辛いなんて思っていた。それは菊地の癖なのかもしれない、そもそも自分がミスをしなければいい事、そして必要以上に気にしなければいいのだ。  もしかしたら菊地も心配してくれていたのかもしれない。自分の発言で新人をへこませている自覚はあったのかも、しれない。 「食べちゃおう、お昼休み終わっちゃうよ」 「……はい」  香川は残りの弁当に箸を伸ばした。  ピンポーン、間延びしたチャイムは二回目を待たずドアが開かれた。 「……お疲れさま、夕飯もう出来るから入って」 「……うん」  部屋に帰り着替えてから三田村の部屋を訪れる、随分久しぶりのような気がした。  テーブルにはまだ何も乗っていない、とりあえずいつものクッションに座ればキッチンから声が掛かった。 「飯、どうだ?麺とご飯だったらどっちがいい?」 「……えっと……うーん……どっちでも……」 「昼は?」 「あ、そうだ、これ……ありがとう……洗ってあるから……」  朝渡された紙袋の中に洗った弁当箱がそのまま入っている。今になって何かお礼に買ってきた方がよかったかと思ったが今更過ぎた。 「……食べれた?」 「うん……ありがとう……」 「そっか……よかった……」  嬉しそうな顔で三田村が紙袋を受け取る。 そういえばここの所会っても心配そうな顔をしていた、いつも気遣うような目で見られていたのでこんなに明るい笑顔を見るのは久しぶりだった。  あぁ、何でお前はそうなんだよ。  温かい気持ちと同じくらいに苦しい気持ちが沸いてくる。 「夕飯用意しちゃうな」 「うん……」  思えばこの部屋に来るのも久しぶりだ。 特に何かが変わった訳ではない、久しぶりといっても一月も空いた訳ではない、多分二週間ちょっと位か?  それなのに懐かしいと思った。  料理を運んで来るのかと思ったが、三田村はマグカップを渡してきた。そこには温かい緑茶が入っていた。 「自炊、大体毎日してるから……急に来ていいから来いよ……隣の部屋で倒れられたらかなわない……」 「……倒れないし……」 「……今日は平気そうだけど、顔色ずっとよくなさそうだったぞ……」 「……」  もう心配そうな顔はしていない、いつもの三田村だ。柔らかく微笑んでいる。  まだ熱いお茶をふうふうと息を吹き掛けながら啜る、何だかほっとして肩から力が抜けた気がする。 「明日も弁当渡すから……ちゃんと食えよ」 「え?」 「痩せたろ、その分戻るまでは弁当持たせるからな、今日ので量は多い?少ない?」 「三田村」 「オレも弁当持っていってるから気にするな、で、足りた?」  気にするし、そこまでしなくてもいいと言いたいのに、香川の口から出たのは肯定の言葉。  いつも何も出来ないのに、貰ってばかりで申し訳ないのに嬉しくも思う。矛盾している自覚はある。だから。 「……うん」 「分かった、じゃあちょっとずつ増やすか……」 「三田村……」 「なに」 「……ありがと……」 「……うん、夕飯用意するな」 「うん……」  だから、感謝の言葉を伝えるしか出来ない。それ以上の何かを自分は言えないから。  三田村は目を細め、一層優しく微笑むとキッチンへと引き返した。
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