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27話
この部屋に迎え入れられるは、初めて来た日から何度目になるだろう。香川はドアを開けながらそんな事を思った。
「お帰り、遅かったな」
「うん……」
ただいま、そう言えばいいのか分からず返事だけに留める。
今日は残業で帰宅が遅くなった。その旨をラインで伝えると、先に食べているけどおかずを残しておくから来るなら来い、という返事が来たので22時を回ってはいるが三田村の部屋へやって来た。
いつもは着替えてから来るが、今日は時間も遅いのでスーツのままだ。ジャケットは置いてきた、代わりに部屋着のパーカーを羽織っている。
そうか、お疲れ様の方がよかったかと今更ながら思い、キッチンへ向かいそうな三田村の背中に声を掛ける。
「飲む?」
手に持っていたビニール袋を掲げ、答えを分かっていながら香川は聞いた。
「オレはいいよ、飯、どうする?おかずだけにする?」
「ご飯ももらうよ」
「ん、わかった」
社会人になってからというもの、月日の流れが学生の頃とはまるで違って感じるようになった。よく一年が早いなんて話を聞いてきたがそれを身をもって体験している。
特に社会人一年目は何も分からず、ただ目の前に出される仕事をこなす事だけが精一杯で終わってしまった気がする。
最初は辞めようと思っていたのに、あそこで辞めないで良かっはたと今なら思える。
二年目は一年目よりも余裕は出来た。やっと仕事とちゃんと向き合えた気がする。
任される仕事も増え、遣り甲斐と楽しさを見出だせるようになった。
そして今は三年目の冬。
「はい、とりあえず飲んでて」
出されたのは山芋のバター炒め。部屋に入った時からバターのいい匂いがしていたのはこれだったのか。
「おいしそ……」
「美味しいよ」
自信ありげに三田村は笑って次の料理を取りに行く。
こたつの天板の上には香川が買ってきた発泡酒の缶が二本。その一本を手に取りプルタブを引き上げる。
口を付け、こくこくと一気に1/3程を喉に流し込む。美味しいなんて思えなかったビールの苦味も最近では喉に心地よい。
ネクタイを外していなかったので、それを外して発泡酒の缶の横に置く。
「……はぁ」
さっきから美味しそうな匂いで誘っている山芋に箸を付ける。ほっくりとした食感とバターと醤油、仄かなだしの甘味で口の中が幸せになる。おいしい。
黙々と山芋を食べていると、美味いだろ?と後から声が掛かった。
振り向けば三田村がトレー片手に笑っていた、今日はよく笑う。
機嫌が良い時は大抵料理が上手く出来た時だと知っている。なので食べるのが俄然楽しみになった。
「はい、お疲れ……お前、ここのところ残業多いな……」
バター醤油の香りで気付かなかったが、今日は炊き込みご飯のようだ。
「ほたて?」
「見切り品で刺身用の安く買えたんだよな~、帆立少ないからいつもみたいに沢山炊いてないけど、お代わり分だけならあるから」
帆立の身をほぐした物ではなく、薄茶色のご飯の上には帆立の身そのままが2つ乗っている。
少し焦げ目の付いた帆立を半分齧ると、柔らかい身が口の中でほどけ、甘味と旨味が広がった。
「土鍋欲しいんだよな、炊くのに使ってみたいけど、やっぱ違うのかな、味とか」
三田村もこたつに入りながらそんな事を呟いた。
天板の上には小松菜とえのきと鶏肉の炒め物(明日の弁当のおかずだろう)葱と油揚げ、もやしの入った味噌汁、もやしと小松菜のぽん酢合え。
三田村はもう食べ終わっているのだろう、お茶の入ったマグカップを啜っている。
「土鍋ってなんか本格的な感じする」
「いや、でもそんなに難しくはないみたいなんだけどさ……まぁ炊飯器新しくしたしな……今はいいか」
「あー、新しい炊飯器美味いよな……そんなに気にしてなかったけど、違うな~」
「だよな」
三田村は去年の冬のボーナスで炊飯器を買った。聞いた時は炊飯器?と驚いたが、新しくやってきた炊飯器はバカに出来ない程の性能差を見せつけてくれた。おいしい。本当に新しい炊飯器で炊いたお米は美味しい。
米は今も実家から送って貰っているが、その米本来のポテンシャルを最大限引き出しているというか、米の甘味や旨味が格段に違う。
兎に角美味しいのでそれ以来炊飯器で白米は変わるのだと二人とも認識を改めた。
炊飯器に思いを馳せてしまった香川だったが、ふと先程の会話を思い出した。
「先輩が辞めるからさ、今引き継ぎやってて残業多めになってるんだよ」
「あー……それでか」
「うん、寿退社」
「……そっか」
「新人の時からお世話になっててさ……そう、三田村の弁当もいつも褒めてくれる」
「は?ほめる?」
頬杖を付いて香川を見ていた三田村は余程驚いたのか目を見開き、手の平から頬を浮かせ短く疑問を口にした。
「あ、いや、美味しそう、って……」
「……」
「いつも、その、みんなで食べてて……友達が作ってくれてるって……」
「……あぁ……そうなんだ……」
照れたように三田村は視線を反らし、山芋を一つ摘まんで口に入れた。
「褒められない?三田村も持っていってるだろ?」
「別に……褒めるとかはない……最近は女子力凄いって言われて……多分、若干引かれてると思う」
視線を斜め上にさ迷わせ、思い出しながら話しているのだろう、段々声が不機嫌そうに変わる。
「引かれないだろ……」
「引かれてる、特に女子社員にはな……」
「そうなんだ……?」
「まぁ、別にいいんだけど、あ、お代わりする?」
「うん」
茶碗を渡してから、缶に残っていた液体を飲み干す。
引かれてるというのは、あれか?イケメンな上に料理も出来るからか?最近は凝りだしてドレッシングも自分で作るし、漬物もしてるし、ベランダで家庭菜園みたいなのも始めた。だからか?
「でもお前の、女子力っていうかおばあちゃんかおかんみたいだよな?」
「……それはそれでどうなんだよ」
「だって、ほら、漬物って糠漬けだし、作ってるのもハーブとかじゃなくてじゃがいもとかだし……」
プランターでじゃがいもが出来るとは知らなかったが、嬉しそうに芋が出来たと喜ぶ三田村を見ているので引くなんて思い付かない。
「まぁ、オレはいいの、女子ウケ狙ってる訳でもないしね」
「……」
じっと香川を見る三田村の瞳に熱が籠る。
変わらないものがある、ずっと目の前にいて、ずっとずっと見つめられ続けてきた視線の意味。
彼女を作らない三田村、何も言わない、二人の関係は大学を卒業してからも何も変わらない。だからこそたまに息苦しさを感じる。
何も感じない程心が鈍い訳ではない。息苦しさを感じる、なんて思う資格などないのに。
もう一本の缶に手を伸ばし視線を外す。
変わらないのは、あのクリスマスから三田村は絶対に香川の前で酒を飲まない。
何度買って来てもそれを飲む事はない。余った分は冷蔵庫に入れておく、それはたまに消えているので飲んではいるようだしたまには飲みに行くという話も聞く。
だけど、オレの前でだけは酒を飲めない三田村。
もう、気にする事なんてないのに。そう思いながら買っては来ても今日みたいに飲んではくれない。
「そうだ、米終わりそうなんだ」
「……あぁ……そっか、じゃあ送って貰うように実家に連絡しておくよ」
どこかほっとしながら香川は答えた。言葉を繋げようとして、結局何も言えずに口を閉じる。
気になっている事がある、でも聞くに聞けない。もやもやする思いを抱えながら、今日も多分聞けないだろうと香川は諦めたようにため息を吐いた。
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