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28話
香川は社会人になってから、始めは付き合いからか酒を飲むようになった。学生の頃はそんな事はほとんどなかったけれど。
たまに酔っ払って帰ってくる。会社での飲み会など苦手だろうと勝手に思っていたが、そうでもないらしい。
上司に誘われて断れない、というのもあるようだが別に嫌がっている様子もない。ただ、少しだけ心配になる。
飲み過ぎて動けなくなる程ではないようだが、所詮安アパートの壁だ、隣の玄関のドアの開閉音などは分かるので深夜の帰宅であったり、そのあとバタバタと大きな音を立てていたりすると倒れてるんじゃないかと心配になるのだ(一応声を掛けるようにはしている、今のところ倒れたりはしていない)
夕飯の時、晩酌のつもりか缶ビールや缶チューハイ等を買ってくるようになったのは最近。
気軽に飲むか、などと聞いてくるが、一緒にこの部屋で飲んだ事はなかった。
試している訳ではないだろう、きっと、もうあの事は気にするなと香川なりに気を遣っての事なのかも知れない。
だけど、そんな気遣いは無用だ。きっとこの先も一緒に飲んだりする事はないだろう。
***
二本目の缶に手を伸ばし、香川はちびちびと飲み始めた。
「そうだ、米終わりそうなんだ」
「……あぁ……そっか、じゃあ送って貰うように実家に連絡しておくよ」
ほっとしたように返事が返ってくる。
心の中で苦笑が漏れる。
何も変わらずに社会人になり三年が経つ。
なんて不毛な時間なのかと、香川は思わないのだろうか。
自分でももうよく分からなくなる時がある、この気持ちに疑いを持つ時がある。
それなのにオレからは離れられない、香川がいなくなれば追う事まではしないのに。
いなくなればいいのにと思うのに、いなくならないで欲しいと願う。この気持ちと同じだ。
もう、愛情なのか、ただの執着なのかすら分からない。
お前はどう思っているんだよ、お前はこの数年オレの側で何を思ってきたんだよ。聞きたくても聞けない問いばかりが増えていく。
二本目を飲み終わると、香川はごろりと横になりこたつ布団を肩まで引き上げた。
「おい……寝るなよ……もう飯、いいのか?」
おかずは粗方食べ終わっているようだ、残りは明日の弁当に詰めればいいと思いながら声を掛ける。
「うん、ごちそうさま……」
「お茶飲むか?」
「……うん」
「……寝るなよ」
「……ん……」
ため息を吐き出してこたつから出る。
今年は暖冬で部屋の中で息が白くなったりはしないが、こたつから出れば寒い。
寒さに肩を竦めながら振り返ると香川の頭が見えた。一度も脱色した事などないだろう黒髪がもぞもぞと体を動かす度に揺れている。
撫でてみたいと何度も思ったけれど、手を出した事はなかった。
キッチンでお茶を淹れ、戻りながら香川に声を掛ける。
「ほら、お茶」
「……うん……」
「寝るなよ……お茶飲むだろ?」
「……」
数秒後、香川がむくりと起きた。酒で頬が赤く染まっている、いつもそうだ、強くもないのに飲むからそうなる。
眠そうな視線が天板の上をさ迷う、マグカップに目線を合わせるとのろのろと手をこたつから出してきた。
「溢すなよ」
「うん……」
ふうふうと息を掛けながら、マグカップに口を付ける香川。一口、二口飲んで、はぁと息を吐いた。
「……飲んだら部屋戻れよ、疲れてるんだろ、早く寝た方がいい」
「……うん」
返事はしているが多分聞いてない。
そのまま飲み続けるかと思ったのに、香川はまたこたつの中へ入ってしまった。
「おーい……」
「……」
「香川」
少し強めに呼んでも返事がない。体を乗りだし横から覗くと猫みたいに丸くなっているので顔が見えない。
「……おい、香川……疲れて眠いのは分かるけど……」
「……お前……一度も泊まっていけって言ったことないよな……」
「…………?!」
驚き何も言葉を返す事が出来ずにいると、香川は何もなかったような顔で起き上がりお茶を啜った。
「かが」
「お前、何か……話したい事とか……ないのかよ……」
正面ではなく、正方形の隣の面に座るので向き合わなければ横顔しか見えない。香川は正面にある、今は消えているテレビ画面を見つめている。
「……何かって……なんだよ……ないよ……」
「……」
ちらりと三田村を見てから「……そうか」と納得してないような顔で呟いた。
マグカップに残ったお茶を飲み終えると、香川はそのままこたつから抜け出した。
「……ねる……おやすみ……」
呆気に取られたまま香川が玄関に行くのを見送っていたが、足元のふらつきが気になり慌ててこたつから出る。
「香川」
「……おやすみ」
問題ない、という顔で香川が頷く。仕方なくスニーカーを履くのを見守る。だけど、心配になり声を掛ける。
「ちゃんと明日起きられるか?」
「大丈夫……」
「すぐ、寝ろよ」
「……うん」
ぱたりと閉まるドア。
何を聞きたかったんだよ、何を言わせたかったんだよ。頭の中で繰り返しても答えなど出ない。
「……弁当……用意するか……」
いつもと様子の違う香川が気にはなるが、部屋に帰ってしまったのだ、どうしようもない。
それにしても、と思う。
「……お前……一度も泊まっていけって言ったことないよな……」
どきりとした、いや、冷やりとしたのかも知れない。
突然何を言い出すのかと思えば、何を……当たり前だろう、そんな事言える訳ない。
オレ達は友達だけど、友達だと思っているのは香川だけでオレはそうじゃない。そんな事お前だって知っているだろう?
相当鈍いとは思うけれど、告白はなかった事にはなっていない……筈だ、忘れた訳でもないだろう。
何でオレの隣にいられる?
きっと友達だからだ、それ以上でもそれ以下の感情もないからだろう。
だから、きっと何かの切欠があればこの関係は崩れる。そうすれば香川は離れていくだろう、そんな切欠を与えると思うのか……離れる口実を作れる訳ないだろう。
潮時だと何度も思ったのに結局は諦める事も壊す事も、逃げる事も出来ない。歳を重ねる毎に臆病になっていくのを自覚する。
「……はぁ」
ため息は虚しく玄関で消えた。
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