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29話
おばあちゃんかおかんみたいだ、なんて言われたけれど本当にその通りだ。
三田村はいつもより早めに掛けたアラームを止めベッドから抜け出た。
お湯を沸かしている間に顔を洗い、着替えを済ませる。炊飯器はタイマーが作動し炊き上がりまでの時間が表示されている、それを見てから弁当用のおかず作りを始めた。
我ながら呆れる、ここまでするのかと。
玄関を出てすぐ隣の部屋のドアの前に立つ。部屋着のままなので首筋など冷えるが、気にしないようにしてチャイムを鳴らす。一回、二回、反応がないので念の為ドアノブに手を伸ばす。
「……おい、鍵はかけろよ……」
呆れた呟きをこぼし、開いてしまったドアを開き中へ入る。
「香川……」
半ば予想はしていたが、声を掛けても返事はない。まだ寝ているのだろう。靴を脱ぎ、部屋に上がり先程よりも大きめの声で呼び掛ける。
「香川ー」
間取りは同じなので寝室がどこかはすぐに分かる、というか一つしか部屋はないのだが。
この部屋に入るのはいつぶりだろうか。弁当は香川が起きてすぐに取りに来る事も、三田村が届けに行く事もどちらもある。
だけどお互い玄関先でのやり取りでしかない。
夕飯も三田村の部屋で食べるのが常で、この部屋で食べた事はない。大学生の時に数回入った事はあったが、社会人になってからは初めてだろう。だけど、特に部屋の中に変化はない。
こたつがあるが夕べはちゃんとベッドで寝たのだろう、それには安堵する。
寝室のドアをコツコツとノックするが返事はない、ため息を吐いて中へ入る。
「香川、入るぞ」
壁際に置かれたベッド、床には脱いだままのスーツのジャケットが放り出されている。その周りにも部屋着だろうかトレーナーやジャージ、それに雑誌などが床に置かれている。
「香川」
近付いて覗き込もうとしたが、盛り上がった布団の中で丸くなっているのか黒髪しか見えない。
「おーい、香川」
床に落ちてたエアコンのリモコンでスイッチを入れる。鈍い音と共に熱風が吹き出してきたが、すぐに部屋の中は暖まらないだろう。
「香川」
布団の上から手をかけて揺すってみる。くぐもった声がその中から聞こえてきた、起きたか?
「香川」
「…………みたむら…………?」
布団の中からゆっくりと香川が顔を出す、まだ寝ぼけているのだろう三田村を見て不思議そうな顔をしている。
無防備な表情はいつもより幼く見えた。初めて見るその顔に笑顔を向ける。
「おはよう」
「……はよ……………………え……?あ!遅刻?!」
突然意識を取り戻したみたいに、香川は掛け布団を捲ると布団から飛び出そうとするので今の時刻を告げてやる。
「まだ、7時前」
「……は?」
「多分6時45分過ぎた位」
「は?まだそんな時間なのか……?!え?なんで、お前……」
意味が分からないと言う顔で言ってくる香川に、噛んで含むように言ってやる。
「お前がちゃんと起きられるかどうか確かめに来たんだよ」
「……は?」
「風呂、夕べ入ってないだろ、あのまま寝るだろうと思ったんだよ……ていうか、部屋の鍵開いてたぞ……風呂は仕方ないにしても着替えて寝ろよ……」
「……」
寝起きに話すのは初めてだ、低血圧なのか、単に言われるままなのが気に入らないのか不機嫌そうな顔で押し黙ったままだ。
疲れているのに飲んだりするから、眠くなるんだ。香川は三田村の部屋を出てすぐベッドに入ってしまったのだろう、夕飯の時と一緒の格好のままだ。シャツには皺が寄っている。
「朝飯、食べるなら用意しておくから風呂入ってこい、その位の時間はあるだろ……二日酔いか?」
「……大丈夫……うん……風呂、入ってくる」
「飯は?」
「食べる……」
「じゃあ、弁当も用意しておくな」
「うん……」
「三田村」
「ん?」
香川はまだベッドから出ずに、三田村を見上げるように顔を上げた。
まだ事態が飲み込めていないような表情で、素直な言葉が香川の口から出てくる。
「……ありがと……」
「……うん、いいから、寒いから入ったら湯冷めしないような格好で来いよ」
「うん……」
30分は経っていないだろう、香川がばつの悪そうな顔でやって来た。
「おはよう」
「……おはよう」
改めて挨拶から始める、香川はスーツに着替えていた。シャツの上には部屋着のパーカーを羽織っている。
湯冷めをしないようにしているのはいいのだが、髪がまだ乾ききっていないのが気になる。
「座ってて」
「……うん」
弁当の残りの卵焼き、ウインナーを皿に載せオーブントースターのスイッチを入れる。
「食パン何枚食べる?二枚?」
「……一枚」
「食べたくない?」
「……あんまり」
「ヨーグルトあるけど、食べる?」
「もらう」
思えば朝食を一緒に食べるのは初めてじゃないだろうか。香川とは友達だけど、夕飯を食べる以外でお互いの部屋に往き来したりしない。
友達だけど、多分普通の友人関係ではない。
「はい」
いつもの夕食時のように座って待っている香川の前に卵焼きとウインナーの皿とヨーグルトのカップを置く。
ちらりと見上げてきた香川はまだ申し訳なさそうな顔をしている、そんな顔しなくてもいいのに。
そうは思うが、反省はして欲しいので三田村は何も言わずに食事を並べた。
「コーヒーでいい?」
「……うん」
紙袋に香川用の弁当箱を入れ、自分のは弁当箱を買った時に付いてきた小さいサイズの布製のバッグに入れる。
二つをキッチンに置いて、インスタントのコーヒーを作り始めた。
こたつへ戻り、もそもそと食べていた香川に牛乳を入れたコーヒーの入ったマグカップを渡し、三田村も食べ始めた。
朝のニュース番組でも付けるかとリモコンを手に電源を入れる。
「朝って何か見てる?」
「……あんま見ないかな……時間ないし」
「ふーん」
特にこだわりはないようなので、チャンネルは変えずにこのままにしておく。
「そうだ、ネクタイ、忘れてるぞ、持ち帰れよ」
「……うん」
空き缶は片付けたが香川のネクタイはそのまま天板の上に置きっぱなしだ。
「……三田村」
「ん?」
「……夕べは……ごめん」
「夕べ?今朝じゃなくて?」
意地の悪い事を言ったかなと思ったが、香川はそれもだけど、と言ってからもう一度謝ってきた。
「……飲み過ぎたって訳じゃないんだけど……」
「うん」
「……言わなくていい事を言った……」
「気にしてないよ」
「……お前さ……」
じっと香川が見つめてくる、こんな風に見てくるなんて珍しい。目が合って、直ぐには反らさないけれど、それでも最後に目線を外すのはいつも香川の方なのに。
「……その……なんか……オレに言う事ない……?」
「……は?」
「いや、言い方違うか……なんていうか、話したい事っていうか、相談……とか?」
「……別に?ないけど、どうした?」
「……ないならいい」
何となく釈然としないような、納得出来ないような顔で香川が言う。だけど、心当たりはない。
「なに、オレの話聞きたいの?」
「何かあるなら聞くけど」
「愛の告白とか?」
「……あ」
あぁ、これは完全に間違えた。冗談のつもりだったのに、全然笑えない。
香川の視線が外れ、沈黙が落ちる。
「……あの、そういうのじゃなくて」
「悪い、冗談だから」
二人して同時に口を開く。
「……冗談……」
「……あ、冗談じゃないけど、いまのは……違う……」
「……うん、あの……ごめん、なんでもない……」
「……うん」
歯切れが悪い、何が聞きたかったにしろ、香川は多分もう聞いてこないだろう。オレも何を聞こうとしてきたのか分からないから答えようがない。
でもそれはオレ達の関係に関する事ではないのだろう、愛の告白なんて茶化した言い方をしたが予想外という顔をしていたから。
その後はお互い何もなかったような顔をして、珍しく二人して一緒に駅に向かった。
心なしか落ち込んでいるように見える香川に掛ける言葉など見つからず、ただもう間違えないように、そればかりを三田村は気にした。
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