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30話
それは、香川の仕事が忙しくなり始めた頃の事。遅くなる時はあまり三田村と一緒に夕飯を食べない、待っていて貰うのが悪いからだ。
そんな時はコンビニか、駅前の定食屋、もしくは三田村のバイト先であり学生の頃手伝いをした事のある居酒屋TAISHOで食べる事も多かった。
たまたまTAISHOへ行った時の事。
何気ない世間話をしていた時、花梨もただ話のついでにしただけだろう、そんな話ぶりで出た話題。
「そういえば、三田村君から聞いてる?」
「……はい?」
店は半分程客で埋まっていた。グループ客はいなかったからか、店の中はさざめきのような話し声しかなく、BGMの洋楽がよく聴こえていた。
「来春から……」
そこまで言って花梨は口を閉ざした。香川の反応があまりにも自分の予想していたものと違ったからだ。
「……聞いてない……?」
「……はい……えっと……」
「あ、うーん、ごめん、多分三田村君が言ってくると思うんだ……だから……」
花梨の歯切れが悪い。自分の口から言うのは判断に困るような内容なのだろう。
「はい、そうします、ちょっと最近仕事忙しくなってきてて……あいつとも、会えてなくて……」
「そうなんだ……そっか、ごめんね、私……」
「いえいえ、花梨さんが気にする事ないので……」
仕事が忙しくなってきたのは本当、でも一昨日会ってる、一緒に夕飯を食べた。
これから残業が多くなりそうだから、夕飯を作らなくてもいいと言いに行ったのだ。
会話は少ないが朝は大抵会っている、弁当を持たせてくれるのは変わらないからだ。
この時は何も思わなかった。
来春から、と花梨は言った。あと数ヶ月先の事、何か仕事の事だろうか、あいつ勤務地でも変わるのか?いずれ話してくれるだろう、最近はゆっくり話をしていなかった。そのうち、たぶん、きっと。
そんな風に思っていた。だけど、実際あれから一カ月以上経つが三田村は何も話してこない。
だから、思いきって聞いてみた。
何か話したい事はあるのかと。
でも、三田村は特に何かを隠している様子もなく、何か思い当たるでもなく、何もないと言う。
そして、冗談だなんて言ったけれど「愛の告白」なんて言う。
自分は三田村にとって何なんだろう。
好き、という感情は多分まだ抱かれているのだと思う。一緒にいてそれは端々から伝わる。
でも、それは別として友達だと思っていたのに。
だけど、三田村にとっては大事な話をするような「友達」ではないのだろう。
それは、少し寂しかった。
大学を卒業して、大学時代の交遊関係は段々希薄になっていったけれど、それでも三田村は隣に住んでいて仲は良いと思っていた。
別に何でも話せるような親友だと思っていた訳ではないけれど、それでも。
友達だと思っているのは自分だけだと思い知らされる。それは、少し、辛かった。
***
春が来た。
社会人四年目、だけどそれは、香川だけ。
三田村は今春から調理の専門学校に通い始めた。
結局、その事もTAISHOで聞く事になった。
2月下旬、香川の仕事も落ち着きを見せた頃、夕飯を食べに行った時の事だ。
花梨も、既に聞いたと思っていたのだろう、何気なく出された三田村の進路に香川は動揺を隠せなかった。
仕事を辞める事がではない、相談がなかった事でもない。何も知らされなかった事にだ。
幾らでもあっただろうに、話す機会なんて。何故か分からないが、三田村は一切香川に話そうとしなかった。
三田村の口から聞いたのは、香川が花梨から聞いたと伝え初めて話された。
曰く、隠していた訳ではない。話すタイミングがなくて、あと、なんだか照れ臭くて。
何で照れ臭いのか意味が分からない。
だけど、周囲には言ってない、というか事後報告にしたと言っていた。反対されるからだと。
香川が反対するとは思っていなかった、むしろ応援してくれると思った。そんな風に言ってはくれたが、ならば言ってくれても良かったのに。そんな事は言えなかったけれど。
もやもやする気持ちは消えない。二人の間に溝が出来た訳ではない。元々繋がっていたのかすら怪しいと思う、溝なんて初めからあって単に気付いていなかっただけかもしれない。
ただ、少しだけ、何も知らない、何も出来ない自分が悔しいと思っていた。
***
「先輩毎日弁当持ってきますよね」
「ん?あぁ……うん…」
弁当箱に入っていたじゃがいもがまだ口の中にあるので、上手く発声出来ないながらも隣に座る里中に返事をする。
里中は羨ましそうな視線を向けながら、コンビニのコロッケパンを食べていた。
「そういえば、このところ毎日だな、前までは週二、三回だったのに」
「えぇ、まぁなんか向こうの環境が変わったみたいで……前より作る時間取れるからって……」
「彼女っすか?」
「違う違う、友達」
「毎日弁当作ってくれる友達ですか?!」
「こいつ、ずっと友達って言うんだぞ、どんな友達なんだよ、なぁ?」
上司の菊地も弁当だ、ほぼ毎日奥さんの手作り弁当。最後の疑問符は里中に向けて。
何を言っても香川が友達と言うのが分かっているからだ。
この春から香川には後輩が出来た。今までも新入社員は入ってきていたが、直接指導に当たる事はなかった。
だが、同じ部署の笹本が退社してその穴は暫く部署全員でカバーしていたが、新入社員が入ってきたのでその負担は大分軽くなる予定だ。
「一人暮らしだっけ?」
「はい」
里中が頷く。まだスーツに違和感が残る程に、幼さが多分に残っている。大学生、いや、童顔なので学生服を着せたら高校生と言っても通じそうだ。
真ん中から分けたさらりとした黒髪に、小さい顔にくっきりとした二重の大きめの瞳。小柄な事も相まって、マスコット的な可愛さを見せている。
人懐こい性格もあり、別の部署の社員からもお菓子を貰うような可愛がられ方をしていた。
里中が真っ直ぐに見てくる。オレもこんなだったのかな、新人の頃。そんな風に思い返すがこんなにも素直ではなかった気がする。
「まぁそれだと弁当って大変だよな……自炊するの?」
「いや、あんまり……」
「だよなぁ……」
自分でもあまり自炊はしない、学生時代はまだしも社会人になってからというものほとんど作った事はなかった。
「大体コンビニ弁当とか……あとは牛丼とかラーメンとかかなぁ……いいなぁ、誰かが作ったご飯羨ましいっす」
「誰かがって……まぁ、分かるけど」
「彼女いないのか?あ、これってセクハラ?」
菊地が冗談半分に付け加える。女性には気を使うが同性にそんな気は使うだけ無駄と思っている人種だが、新人故に一応聞いてみた、という感じなのだろう。
自分の時はもう少し遠慮がなかったような気がするが、フォローを入れてくれる笹本もいないという事もあるし、些細な事で辞められても困ると思っているのだろう。
「えっと、セクハラ?セーフじゃないですかね?彼女ほしいですね、大学の時に別れてもう一年位フリーですねー」
「香川も聞かないなぁ、そういう話」
「はぁ……まぁ……」
「まぁ……お前はいいか、食事、偏らなそうだしな」
「……」
そういう問題ではないと思うが。
この手の話は苦手だ、早く話題が変わらないかと思いながら香川は黙ったまま卵焼きをもそもそと食べた。
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