33話

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33話

 いつもの昼食、特に何かが違った訳ではなかった。  休憩室の隣にある給湯室でお茶を淹れて戻ってくれば、午前中は出掛けていた菊地の顔が見えた。 「お疲れ様です、菊地さんもお茶飲みますか?飯、まだですよね?」 「いや、食ってきた、今日は弁当なしにしてたんだ」 「そうなんですか」 「でも、お茶は貰おうかな」 「はい」  給湯室へ戻り、菊地のマグカップに煎茶のティーバッグを入れてお湯を注ぐ。  休憩室からは社員達の話し声が聞こえてくる、なんだか平和だな。  まだ梅雨には入っていないけれど毎日夏に向かっていっているのがわかる。少しずつ気温も湿度も上がっていくのを肌で感じるからだ。 「はい、お疲れ様です」 「おー、サンキュー……里中は?外で食ってんのか?」 「そうみたいです、今日は新人同士で出て行ってました」  菊地の向かいに座り弁当箱を開ける。菊地が覗き込んでくる、外で食べてきたと言っていたのに足りなかったのだろうか。  だが、催促するでもなく菊地はお茶をずずっと飲んだ。 「へぇ、そうか……お前同期は……あ、いないか?もしかして……」 「工場にまだいるみたいですけど、あと、工場の事務所……ここにはいないですね、まぁ俺以外一人だったけど……」  去年辞めた同期の女子社員の顔をぼんやりと思い出しながら言う。 「お前、辞めると思ってたんだけどなー」  あっけらかんと菊地が言う。半分はあなたのせいだと言いたかったが、もう過ぎた事だ。  それに今になって思い返せば、その経験が今の自分を作っているとも思えた。 「……辞めませんて……」 「そうだな、うん、そうしてくれ……そういえばお前実家は関西だったか?」 「いえ、東海……岐阜ですけど……」 「そっか、関西弁じゃないもんな、香川は……ほとんど標準語だよな、たまに変なイントネーションあるけど」  箸を止め、弁当から顔を上げる。 「……なまってます?」 「いやいや、そーいうのじゃないけど……あ、そんなに気にならないからな?」  気にするなよ、と続いた。  実家に帰った時などは戻ってしまうけれど、話す時は意識して話していた。それは大学に入りたての頃の話で今はもうほとんどそんな事はない。  菊地が言うようにたまには出てしまうようだけど。 「菊地さん、戻ってたんですね!」  休憩室のドアの所で菊地を呼ぶ声が聞こえ、二人して振り返る。 「ちょっと確認して欲しい書類あるんですけど、今いいですか?」 「あぁ、今行く」  菊地はパイプ椅子から立ち上がり、まだ半分入ったお茶のマグカップを持ち休憩室から出て行った。    まだ弁当は食べ始めたばかりだ。弁当箱の中身は卵焼き、ピーマンの肉詰め、きゅうりの浅漬け。おにぎりはおかか。  毎日毎日、自分の分もあるからと朝手渡してくれる。  夕飯の事もあるし、三田村が学生に戻ってからは強制的に食事代を渡している。  米などの食材を提供してはいるが、社会人の時とは違うからか最初は渋っていたが、最終的には受け取ってくれた。 「先輩、今日も卵焼き入ってるんですね!」  急に明るい声が掛かり、顔を上げると子犬のような笑顔の里中が向かいの席に座っていた。 「早かったな、戻ってくるの」 「そうですかね?」 「あー……そっか、お前が出て行ってから電話あって……食べるの遅くなったんだよ、オレ」 「そうなんですね、だから卵焼き残ってるのか、残しておいてくれて訳じゃないんですねー」 「なんで残しておかなきゃいけないんだよ」 「だって、先輩、オレが卵焼き好きなの知ってるでしょ?」 「……」  両手で頬杖をついてニコニコしている里中は図々しい事を言う。知っいてるけど残しておかなきゃいけない義理はないだろう、とは思うけれどその子犬のような無邪気な笑顔を見てしまうと無下にも出来ない。  入社当初は天然かと思っていたが、里中の性格は把握した。こいつはそれを分かってやっているのだと。 「お前な……」  だからと言って香川の選択肢はひとつだ。  呆れながらも弁当箱を里中の方へ押しやれば、嬉しそうに手を伸ばしてきた。 「美味しいですよね、卵焼きなんて今食べられないからなー」  もぐもぐと美味しそうに卵焼きを食べる里中は幸せそうに笑う。三田村の料理を誉められるのは嬉しく、香川も自然笑顔になるのだが、毎回毎回おかずを持っていかれるのも困るので提案を出してみる。 「……自分で作ればいいだろ、卵焼き位簡単だろ?」 「えー、じゃあ、先輩作れます?簡単なんて言って」  ぎくりとしたが、考えてみる。もう長い間まともに自炊をしていないので作れるのかあやしい。 「……ちょっと形は崩れるかもだけど、作れると思う……けど……自炊なんて最近してないから分かんないけど……」 「ご飯作ってくれる人がいるの羨ましいっす」 「……彼女作ればいいだろ」  彼女を作ればご飯を作って貰えるとは限らないし、ご飯を作って貰う為に彼女を作るのもなんだか違う気がするが。 「んー……今はいいですかねー……まだ仕事に余裕とかないし……休みの日も出来たら家でゴロゴロしてたいし……」 「そういうもんかね」 「そうなんです!あ!今度オレも行っていいですか?夕飯食べに」  ぱっと顔を輝かせたと思ったらとんでもない事を言い出した。 「は?いや……それは……んー……歓迎されないと思うし……」 「えー、だめですか?」 「……何て言うか……多分嫌がると思うし……オレの部屋じゃないし……知らない奴入れるの嫌なんじゃないかな……」  以前、大学在学の時だが三田村の友達の久保に夕飯作ってもらえるのはお前だけだし、お前がいる時は絶対誰も部屋に呼ばないと言われた事がある。  ちょっとだけ羨ましそうに、妬ましそうに言われたのを思い出す。 「……うーん、まぁ……そうですよね……オレも知らない人が部屋に来るのはちょっとなぁ……」 「だろ?」 「はーい」  第三者がいる事がなかったから、考えた事はなかったが三田村は手料理を誰かに食べさせる事はあるのだろうか?そんな考えが頭に浮かんだ。  学生の頃よりは酒に強くなった、飲めるようになったと思ってはいた。それは社会人になり、飲む場が増えたからだ。  上司の菊地が飲む事が好きなのもあり、美味しい居酒屋をよく知っていた。二人で飲む時などは奢ってくれたりもしたので、誘われれば着いて行った。笹本がいた時は三人で飲みに行く事もよくあった、今それはが里中に変わっている。  だが、里中はあまり上司との飲み会は好きではないようだった。  たまに説教くさいところもあるけれど、絡み酒もしてこないし梯子をする事もほとんどないので終電まで付き合わされる心配もない。  それにたまには奢ってくれる。つまらない話ばかりを聞かされる訳でもないので、香川としては菊地と飲みに行く事は全然苦ではなかった。  でも、里中の気持ちも分かる。香川も新人の頃は上司との飲み会が嫌だった。たまに奢ってくれるとはいえ苦痛でしかなかった、でも仕事に対して少し余裕が出来てからはそれも変わった。  飲んで親睦を深めるなんて、今時は流行らないかもしれないが香川はそれを不要だとは思っていなかった。 「そうだ、なんか美味しいお店見つけたから菊地さんから飲みに行こうって言われたんだけど……」  帰宅経路が被るという事もあって里中とは一緒に帰る事がよくある。  八割方埋まった電車に揺られながら、今日言われた事を思い出し伝える。 「……えっと……いつでしょうか……?」  考えるように里中が問いかける。乗り気ではないというのが、表情で分かる。 「……明日だけど、嫌だったら断って平気だからな?あの人気にしない人だから……オレもたまには断るし」 「……いえ、その、美味しいお店連れて行ってくれるし……嫌という訳ではないんですけど……オレ、あまり飲めなくて……無理して飲むと翌日二日酔いになるから……明日か……まだ週の真ん中ですよね……」  週の真ん中、今日が水曜日なので明日はまだ木曜日だ。 「無理してたのか?!飲めないならいいのに」 「でもなんか、断りにくくて……先輩達楽しそうに飲んでるし……それに、お酒自体は好きなんです、量飲めないだけで……」 「多分、分かってないぞ菊地さんお前があまり飲めないっていうの……まぁオレもそんな飲めないけど……」 「えー、でも、結構飲んでません?」 「んー、慣れてきたからかな、オレも新人の時はあんま飲めなかったし……飲み会嫌だったしなー……」 「そうなんですか!?」 「あぁ、だから、無理して付き合ったり、飲まなくても平気だぞ、菊地さんに限らず他の人も断っても気にしないからさ」 「……はい」  その後すぐ、里中は降り香川はあと二駅だ。 明日は夕飯いらない、そう伝えなくては。今日はバイトの日だから直接は言えない。  明日の朝でいいか、そう思いながら手元の紙袋に視線を落とした。
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