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34話
もうそろそろ弁当に気を使わないといけない時期になってきた。香川の会社には冷蔵庫があると言っていたが、それでも傷みやすいものは避けたいと思いながら弁当のおかずを考える。
弁当はほぼ毎日。その代わり夕飯を共に食べるのは今年度に入って減った。三田村のバイトの都合もあるので香川がこの部屋を訪れるのは今では週一、ニ回程度だ。
今日はバイトもないから久しぶりに一緒に食べられると思っていたのだが、香川は飲みに行くから夕飯はいらないと言う。
上司に誘われたと言っているので仕方ない。あの、よく話に出てくる後輩と夕飯だったら断れと言ってしまっただろう(言ったところで素直に聞き入れる訳ないのだが)
一人だと適当になりがちだが、今日は明日のおかずになるようなものや冷蔵庫に入れておける作り置きのおかずも作った。
鶏肉のトマト煮、茄子の煮びたし、もやしナムル、豆腐と鶏肉の肉団子、エリンギのベーコン巻等々。冷蔵庫と冷凍庫に分けて入れれば完了。
夕飯を食べシャワーで汗を流し、まだ寝るには早いのでテレビ番組を適当に流す。
床にごろりと横になりながらだったのでついうとうとしてしまった。
どさりとドアにぶつかるような物音で自分が寝ていた事に気付く。
今は何時だろう?テレビはまだ付いているが、それを見ても何時なのか検討がつかない。
上体を起こし、テーブルの上に置いてあったリモコンでテレビの電源をオフにすればドアの外から微かに話し声が聞こえてきた。
それは隣の部屋の前、香川が帰って来たのだろう。
テーブルの上にはリモコンと飲みかけのお茶の入ったマグカップしかない。床に視線を落とせばスマートフォンが手を伸ばせば届く距離に置いてあった。
多分横になった時に置いたのだろう。スマホの画面で時計を見る、日付が変わっていた。
またドアにぶつかるような音がした。
こんな時間に近所迷惑だろうが。
立ち上がり玄関まで行きドアの外に聞き耳を立てる。小さな声で何かを話しているようなので、内容までは聞き取れない。
深夜なので物音を気にしているのかもしれないが、既にそれは失敗している。
がちゃりとドアを開ければ、ドアに凭れ掛かっている顔の赤い香川と見た事のない男が立っていた。
「……大分飲んで帰って来たみたいだな」
意識した訳ではなかったが随分と低い声が出た。機嫌が悪いのを隠そうともしていないその声に反応したのたは、胡乱な目をした香川だった。
「三田村……ただいま……」
「……あんま大きな音立てるなよ、近所迷惑だろ」
「……すみません」
謝ってきたのは知らない男だった。検討は付く、香川よりも年下、童顔のせいもありまだ学生のように見えるその男はたまに話題に上がる新人だろう。
「……鍵ないのか?」
「んー……」
ドアに押し付けていた背中がずるずると下がる、鞄の中を探しながら尻はとうとう床に着いてしまった。
「……お前ジャケットは?」
「……あ、これです」
「……」
なんでお前が持っているんだよと思ったが、新人(仮)が差し出してきたので受け取り、内ポケットを探ると目当ての物はすぐに見つかった。
「お前いつもここに入れてんだろ……」
「あー……うん……」
酔いが相当回っているのだろう、閉じそうな瞼をぱちぱちと瞬きして三田村を見上げる。
「開けるから立てよ」
「先輩、立ちましょう、ドア開きませんよ」
香川の前に立ち、手を差し伸べているが多分無理だろう。
三田村は大きなため息を吐き出して「いいから」と男の前に出ると香川の腕を引っ張り、それを肩に回し無理矢理立ち上がらせた。
酔っているのだ、新人と香川の身長差はほとんどなさそうだが、ひょろりとした体躯では持ち上げる事は難しかっただろう。
香川がもごもごと何かを言っているが、無視してドアを開け部屋の中へ入る。
昼間締め切っていた部屋はむわりと纏わりつくような空気が立ち込めている。換気をしたいがそれよりも先に担いでいる香川をどうにかしないといけない。
ずるずると半ば引き摺るようにして寝室へ向かう。幸いドアは半分開いていたので、それを足で広げベッドへ香川を座らせる。
「気持ち悪い?」
「……へいき」
ふるふると力なく首が降られる。少し伸びた黒髪が揺れた。
「水、飲むか?」
「……うん」
ドアの所に新人が立っている、どうしたらいいのかという迷子のような顔だ。
「もう平気だから、あとはオレが面倒みとくからあんたは帰っていいぞ」
「……え……」
「……さとなか、泊まってくから」
「は?」
「ふとん、あるとこ分かるよな、悪い……出してくれ、あとクローゼットから、ふく、適当に出してきてくれ……」
「あ、はい……」
里中の方へ顔を向け指示を出す、以前泊めた事のあるような口振りだ。
「……泊めるのか?」
「……何時だとおもってるんだよ……三田村……みず……」
「……」
里中は二人のやり取りを気にしながらも、客用布団を床に広げている。三田村は仕方なくキッチンへ行き、コップに水を汲み戻ってきた。布団の準備は終わっていた。
「先輩大丈夫ですか?」
「あー……うん」
「ほら」
横からコップを差し出すと、のろのろと手が伸びてきた。覚束ないその手にコップを握らせ、口元まで手を添えながら持っていく。飲んでいるせいか、香川の手はひどく熱かった。
「……はぁ………あ、里中、シャワー、使っていいよ、タオル分かるよな?」
「はい……じゃあ……すみません、お先に使わせて頂きます」
「うん」
随分と詳しいようじゃないか。部屋から出ていく里中の背中を目で追ってから、項垂れたままの香川に視線を戻す。
「水、もういいか?」
「うん……ありがと」
コップを奪い取るようにしてそれをキッチンへ置きに行って戻ってきても、香川は同じ姿勢のままだ。寝ているのか?そう思いながら声をかける。
「香川」
「……うん」
「眠るなら着替えてからにしろよ……これか?ほら」
ベッドの上のあったTシャツを膝の上に乗せてやるが、反応はない。
「おい」
「……まだ、起きてたんだな……起こした……?」
「起きたんだよ……ばたばた音がするから……」
「ごめん……」
「……いいよ、別に……飲み過ぎだ、自覚あるな?」
「うん……ちょっと……今日は……二軒目、行って……ワイン、あんま飲まないんだけど……」
「……まぁいいけど……呼べば迎え行くし……オレを呼べばいいだろ」
「……いいよ、なんでそこまでするんだよ……」
「後輩に面倒かけるよりいいだろ……明日も仕事だろ……」
「だから泊めるんだろ……オレはお前と違って泊めるんだ」
「そうかよ……」
香川が漸く頭を上げる。もう眠そうではないけれど、酔いのせいで顔全体が赤く染まっている。不埒な考えが一瞬浮かび目を反らした。
「……とにかく、そんなに飲むなよ……急性アルコール中毒にでもなったらどうするんだ……」
「……しんぱい?」
「は?当たり前だろ」
「友達だから?」
「……そうだよ」
「……たいして……大事な友達でもないだろ……」
嘲笑、瞳は挑発するように鋭く三田村を睨み上げている。こんな顔を見るのは初めてで反応が遅れた。
「………は?」
「隣に住んでるってだけだろ……心配してくれなくていい」
「……お前な……」
酔っぱらいの戯言だと流せばいいのにと、頭の中では分かるのに冷静ではいられなかった。
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