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37話
余計な事をした、と香川を帰した後に思ったが時は戻せない。未練がましいと自分でも思う。
終わりにすると自分で言ったくせに、香川の顔を見たら駄目だった。明らかに寝不足の顔、聞けば朝食の事など忘れていたようだ。
弁当箱を今日返しに来たのだって大した意味はきっとない。なんとなく、だろう。
もしかしたら多少混乱しているのかもしれない、それで目についた弁当箱をいつものくせで返しに来た、というのが正解かもしれない。確かめるつもりなどないが。
そして三田村は朝食ついでに開き直り弁当を作っている。これが最後になるならもっと、例えば香川の好物等を作れればよかったのだが、夕べそんな事が分かる筈もない。
いつもの卵焼き、鶏肉のトマト煮、肉団子にきゅうりの浅漬けとじゃことわかめのおにぎりだ。
はぁ、とため息を吐き出す。一晩経って冷静になれば何であんな事を言ってしまったのかと後悔している。
謝れば元の関係に戻れるかもしれない。
謝る?何をだ?別に喧嘩した訳ではない、お互いがお互いに溜め込んでいた事を怒鳴り合っただけだ。それで終わり。
後悔はあるが、これで良かったと、きっと後になればこの選択が正しかったと思えると三田村は思っていた。
そうでなければこの先もずっと、ずるずると友達でいたのだ。それでもよかったし、そうしたかった思いも残っている、だから後悔がある。
でも、終わりにすればもうお互いもやもやする思いを抱えなくても済むし、新しい出会いを探そうという気持ちも生まれるだろう。
普通に女を好きになれる自分だったのだ、たまたま香川に躓いてしまったけれど、それは忘れて新しく誰かを好きになろう。
いや、好きにならなくても誰かを待てばいい。大学生の頃と同じようにいくかは分からないが、恋人を作るのは難しい事ではないだろう。
その誰かを好きになって、結婚するのだって悪くない。子供が出来ればきっと香川の事など思い出しもしないだろう。
その考えはとても建設的な筈なのに、胸の奥がきりりと痛む。でも仕方ない、終わりにしたのは夕べ、まだ時間が必要なのだ。
きっと忘れられる筈だ。こんな痛みは。
チャイムの音に、ドアを開けて香川を出迎える。これが最後かもしれない。そんな事を考えるのはもう止めよう。
さっき見た時より幾分しゃきっとしているのは、後輩の前だからかもしれない。
香川に続き里中がお邪魔しますと言いながら入ってきた。
「……弁当もあるから」
「え……?」
「夕べ用意してたし」
「……あぁ……そっか……」
テーブルはそんなに大きくない、香川の隣に里中が座る。座った里中はキョロキョロと好奇心に満ちた目で部屋の中を見回していた。
「……おい、あんまりじろじろ見るな……お前の部屋と大して変わらないだろ」
「あ、すみません、初めてのおうちってなんだか緊張してしまって」
「……飯食うだけだろ、緊張するなよ……」
後輩に向け柔らかく香川が笑う、今日初めての笑顔だ。そんな顔見てももう何も思わない、感じない、そんな風になれればいいのに。
三田村はそう思いながら手に持っていたトレーをテーブルに置いた。
「はい……簡単な物しかないけど、どうぞ」
トーストした食パン、おかずは弁当の残りの卵焼き。あとは炒めたウインナーとはんぺん。きゅうりとミックス豆のサラダ。
料理と呼ぶには簡単過ぎるがとりあえず腹に入ればいいだろうと思っていたら、里中は感激したような声を上げた。
「うわぁ!すごい!朝御飯て感じですね!!」
朝御飯て感じってなんだよと突っ込みたい。感じじゃなくてこれは朝御飯だ。
特に手の込んだものはない。炒めただけだし、サラダなんてきゅうりを乱切りにして、茹で豆のパックの豆を適当に投入して市販の和風ドレッシングを掛けただけだ。
「いいなぁ、先輩いつもこんなちゃんとしたご飯食べてるんですか!」
「……いや……そういう訳でもないけど……」
「菊地さんが先輩は栄養偏らないって言ってましたもんね……自炊出来るの羨ましいです……」
「そんなに難しくないだろ、自炊」
会話に参加してきた三田村の方へ里中が顔を向ける。そうですかね?と首を傾げてから香川へ縋るような目を向けた。
「まだ仕事にも慣れないし、それで自炊するの大変だよな、今まで実家だった訳だしさ、里中は」
「やってみたいとは思うんですけどね……」
やればいいだろ、自炊。
何で香川はフォローするんだよ、イライラする。可愛い女子ではないが、里中という男は多分他人に取り入るのが上手いタイプだろう。
そういえば香川もそんな事を言っていた気がする。そして甘やかしているのだろう、というのが見ていて分かる。
「卵焼き!美味しいです!」
無邪気な笑顔は子犬のようだが、三田村にしたらイライラが増すだけだ。
「いつもお前の卵焼き美味いって褒めてるんだよ、里中」
「……」
おい、それはオレの卵焼きをこいつに食わせてるって事か?と問い詰めたいが咀嚼している最中だったので、突込みが遅れた。
口の中に何も入れていなくても、聞ける訳はないのだが。
「先輩はいいなぁ、いつも美味しいご飯食べられて」
「まぁ……それはありがたいと思ってるけど……」
「先輩だって自炊してませんよね?」
「……あー……まぁ、でも、卵焼き位出来るって、多分」
「でもこんなに美味しいのは作れないでしょ?」
「……作れないよ」
香川がちらりと三田村を見て、それから手元の皿に視線を落とす。
「でも、オレも少し位作れるようにならないとな」
顔を上げた香川はもう一度三田村の顔を見てから力無く笑った。それはもうここには来ないし、弁当も今後はいらないという意味なのだろう。
後悔したって遅い、もう終わったと思っているのは自分だけではなく、香川も同じなのだと思い知らされる。
「そうですよね、オレもちょっと頑張ってみようかな」
何も知らない里中だけが楽しげに笑った。
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