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38話
会わなくなろうとすれば、思っていたよりも簡単に三田村とは会わなくなった。それは隣に住んでいただけ、という事実を嫌と言う程思い知らされる事だった。
社会人と学生。朝、部屋を出る時間も違うし帰りの時間も三田村はバイトがあるし、香川も残業がある日もあり被る事はない。
そういえば廊下ですれ違うような事も、今までほとんど無かったと思い出す。
お互い会おうとしていたから会えていただけで、こんなにも直ぐ疎遠になれるとは少し驚いた。
暑い夏がやってきた。この時期は自然食欲が落ちる、気を付けないと夏バテしてしまうのだが、今までは三田村がそれに気を遣いさっぱりとしていても、栄養価のある食事を出してくれていたので夏バテという程体調が崩れる事もなかった。
「……そうめん、飽きたな……」
食欲がないからといって何も食べない訳にもいかないので、最近は素麺を茹でて食べている。
もうこのところずっと麺類だ。茹でなくても流水で注ぐだけで食べられるような麺類もあるので、それも利用している。
たまに惣菜やサラダを買ってくるが栄養バランスなんて考えて食べてはいない。
ずずっとお椀から素麺を啜る。汁はめんつゆを水で割って作った。おかずに惣菜でも買ってくればよかったと後悔するが遅い。
この素麺も不味くはないのだが、三田村の部屋で出されていたものと少し違う。
食感というか味というか……コシ?とにかく違う、あの部屋で食べていた素麺の方が遥かに美味しい。
一応、違うと思ってからは少し高めの素麺にしてみたのだが、やはり違う。メーカーの名前を言っていた気もするが、今更聞けない。
いや、聞く位いいかもしれないが、久しぶりに会って聞く事がそれかと呆れられると思えば聞くに聞けない。
「……」
テレビは付けてあるが時々音を拾う位で真面目に画面を見てはいない。
今まで一人で食事をしていた時、こんなにも味気ないものだっただろうか?
美味しいとか不味いとか、一人でいるとあまり気にならない。ただ、腹を満たせればいい。
まだ素麺は残っていたが、香川は床にごろりと横になった。
扇風機が回っているが、熱風をかき混ぜているだけなので涼しさは感じられない。フローリングの床がほんのりと冷たいが、それを感じられるのも短い時間だけだ。
シャワーを浴びた後なので、体はさっぱりとしていたが脇や腹の辺りにじんわりと汗を掻いているのが分かる。
「……はぁ……」
食事をしながらいつも何を話していた?お互いその日にあった事を何となく、取り留めなく話していた。
でも、笑ったり、ちょっとムカッとする事があっても二人でいるのは楽しかった。少なくともこんなに退屈な時間ではなかった。
三田村は今どうしているだろう、そんな考えが浮かんだが直ぐに考えるのを止めた。
考えたって仕方ない。きっと三田村は自分に会いたくないのだろう、終わりにすると言った、友達ですらもうないのだ。それに大嫌いとも言われた。
「……はぁ……」
会いたいのか、三田村が作った料理が食べたいのかよく分からない。ただ、このままの食生活を続けるのはよくないという事だけは分かる。
ゆっくりと起き上がり、箸を手に持ち直し残りの素麺を口に運ぶ。ただ、淡々と。
こんなにも自分は心が弱い人間だっただろうか。
だけどきっと時間が経てば忘れられる、一人が当たり前になればきっとこんな痛みなど。
***
「久しぶりだな!今日、三田村休みなんだよ」
「……お久しぶりです」
居酒屋TAISHOの暖簾を久しぶりに潜ると、カウンターの中から店長の杉並大将に声を掛けられた。
その声に店内に出ていた妻の花梨も笑顔を浮かべながら寄って来て、席を案内してくれた。
「香川君、ちゃんとご飯食べてる?夏バテ?」
スーツの上着を背もたれに掛け椅子に座ると、じっと見つめられ真面目な顔で聞かれてしまった。
「……あー……はい、ちょっと……なのでちゃんとしたもの食べようと思って……」
「やだ、もう、ちゃんと食べてよー!今日は飲まないでしっかりご飯食べていってね」
「はい」
「どうする?あまり重いものは止めた方がいい?こっちでご飯作ろうか?メニューから選ぶ?」
「あ、はい、大丈夫です、選んで頼みますので……」
「うん、じゃあ決まったら声掛けてね」
「はい」
花梨が席から離れていく。案内されたのはカウンターの端。店内は半分程が埋まっている、まだ19時を過ぎたばかりなので混むのはこれからだろう。
「はい、お通し」
「あ、ありがとうございます」
水の入ったグラスと一緒に出されたのは枝豆のポテトサラダ。夏になるとこの店で多く出されるお通しメニューの定番だ。
そういえばよく三田村もこれを作ってくれた。
「三田村から聞いてるかな、今日は向こうなんだよ」
「……」
「……喧嘩でもしたのか?お前ら……三田村も香川君の話し出すと機嫌悪くなるんだよな……」
カウンターから話しかけてきたのは店主である大将だ。手元で作っていた料理をバイトの女の子に渡す。一息付いたのか次の料理に移ろうとせず、香川の方へ顔を向けたままだ。
喧嘩ではないが、香川は黙っていた。三田村の事は気になる、でも、自分の話が出ると機嫌が悪くなるとは……離れていた間に随分と嫌われたものだ。
「夏休みだろ?あいつ。だから、オレの知り合いの店に手伝いに行ってるんだよ……いい勉強になると思ってな……まぁこれは建前で人手不足ってのもあるんだけどな」
「……そうなんですか」
「そう、だからほとんどこっちへは来てないよ……だからか、香川君痩せただろ、ちゃんと飯食いなよ……」
「はぁ……」
夫婦から同じ事を言われてしまった。
二人からは自分の胃袋と体調管理は三田村が担っていると思われている節がある。あながち間違えてはいないのだが、それはもう過去の事だ。
だが訂正するのも面倒なので、何も言わないでおく。
「どうする?決まった?」
「あ、はい、じゃあ、海老塩焼きそば……」
メニュー表から顔を上げ伝える。
「だけ?」
「あー……えっと、じゃあ……サラダ……も……」
「はい、かしこまり!」
笑顔で答えるとキッチンの奥へ向かってしまった。香川はメニュー表を閉じ、元の場所へ立て掛け料理が来るのを待った。
運ばれてきた焼きそばを食べながら、スマホで適当にツイッターやニュースサイトなどを覗く。
サラダはお通しで出されたポテトサラダに枝豆が割り増しで入っている、それにレタス、キュウリ、トマト、ヤングコーン、じゃこなど色々入っていた。
メニューにないそれは香川を思っての事だろう。有り難く頂く。
海老の塩焼きそばはよく香川が食べるメニューだ。ぷりぷりの海老にキャベツ、ニンジン、モヤシなどが入りボリュームもあるが、塩味でさっぱりと食べられる。
今の弱った胃でもなんとか食べられると思い注文をした。
「……」
麺を数本箸ですくい、口へと運ぶ。
やっぱりそうだ、と食べながら思う。何度も食べたから分かる、三田村が作る時と店長が作る時では味が違う。
正確に言うと黒胡椒の量が違う、だ。
店長が作るのが正解で、三田村が作る塩焼きそばは黒胡椒の味が薄い。
多分ではなく、香川の好みを反映しての事だろう、塩味は好きでも胡椒が利いている料理は苦手。それを覚えてくれているから、いつも黒胡椒が少な目なのだ。
これはこれで美味しい、でも三田村の作った料理が食べたかった。
ここへ来たのは夏バテしないようにちゃんとしたものを食べる為ではあったが、もしかしたら三田村と会えるかも知れない、なんて期待もあったからだ。
でも会えなかった。それで良かった。会えたとしてどうなんだ?自問しても答えはない。
もう、思い出すのは止めないといけないのに。料理に未練があるのか、それとも三田村に未練があるからなのか。友達なのに?
三田村の事を考えれば考える程、気持ちがぐちゃぐちゃになる。それが堪らなく嫌で、だから考えるのを止めたのに。
それなのに考えるのを止められないのは一緒にいた時間が長いからだろう。
必要なのは時間、いつか三田村が作った料理の味も忘れるのだろうか、初めて香川はその事へ思い至った。
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