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39話
「このところずっとコンビニかー?香川……」
「……いいじゃないですか、コンビニ弁当でも……」
「まぁオレも今日はコンビニ弁当だけどな……でもあれだな、たまに食べると美味いよな」
たまにではなく、コンビニ弁当はいつでも美味しいですよと言いたい。
愛妻弁当を毎日携えてくる菊地に言ったところで、意味はないかも知れないが。
「お盆休み帰ってたのか?実家」
「はい、久しぶりに帰りました……一年振り位かなぁ……」
「おー、そうか、久しぶりだし実家もいいだろ」
「はぁ、そうですね……」
実家で大分食生活が改善されたし、食材も色々送って貰えたのでそれは良かったと思っている。
ただ、一人暮らしの不摂生を愚痴愚痴言われたり、彼女はいないのか等、色々詮索されたのには辟易したが。
「えーと、関西だったか?」
「……覚える気ないんですか?オレ岐阜ですよ、東海……なんか最近関西推してきますよね、菊地さん……」
最近菊地は事ある毎に大阪の話をしてくる。最初の頃は関西地方のニュースなど、それから大阪に限っての話に最近はなっている。
なんとなく検討はついているが、遠慮がなくなってきているのが気になる。
「え?そうか?」
「………関西支社出来る話ですか……?」
「なんだ、知ってたのか」
「大体みんな知ってると思いますよ……大阪ですか?」
「いやー、場所はまだ確定してないみたいだなー……」
今日はハンバーグ弁当にした。付け合わせのポテトはもさもさした食感で喉に詰まる感じだ、不味くはないけれど。
お茶でポテトを飲み下してから口を開く。
「来春ですか?」
「予定ではなー……なぁ、香川」
「はい」
向かいの席から身を乗り出し、菊地は内緒話をするように声を潜めた。
「お前、関西転勤行けって言われたら会社辞めるか?」
「……辞めるかって……んー……考えた事ないですけど……」
香川が勤務しているのは小さな食品会社だ。輸入食品も取り扱っているが、自社製品は小麦粉、米粉等の粉製品中心に小売業、外食店舗から個人向けまで様々な層への販売が主だ。
元々米農家であった現社長の父親が始めた会社である。
本社は東京、工場は埼玉。勤務地はその二択だった、だから今まで転勤など考えた事はなかった。だけど。
「……サラリーマンなんで拒否権なんてないと思ってますけど……」
「まぁ……そうなんだけどさ……」
「オレは……辞めませんし……別に行っても……いいですけど……家賃手当とか引っ越し費用とか出るんですかね……?」
「それは出ると思うが……」
「ていうか、オレよりも菊池さんの方が辞めるんじゃないですか?奥さんとお子さん置いて単身赴任とか……出来ます?」
四十を幾つか過ぎた菊池には小学二年生の娘と幼稚園に通う息子がいる。可愛い盛りなのかは分からないが、子供の話をよくしている菊池にとって単身赴任は仕事を辞めたくなる理由になり得るのではないかと香川は思った。
「……出来る、とは言い切れないが……まぁ、オレもその辺はな……」
「あー……まぁ……それを決めるのはオレ達じゃないですしね」
「そうなんだよな……」
「でも、可能性は……ありますよね……単身者には……」
「……」
菊池は何も言わないが、自分よりは香川の方が可能性があると考えているのだろう。
「ま、どっちにせよ、先の話だ」
「……そうですね……」
さっき自分でも言ったが、決めるのは自分達ではない。
それに、もし声が掛かったとしても……きっと自分は辞令を受け入れるだろうと思う。
環境が変われば、きっと三田村の事を思い出す事もなくなるだろう、そう思ったからだ。
定時で帰れる日、今までは駅前の定食屋、ラーメン屋、もしくはTAISHOで食べるか、弁当屋かコンビニで弁当を買って帰る事が多かった。
だけどお盆休みが明け、調味料や米、じゃがいも等を送って貰ってからというもの香川は自炊をするようになった。
手の込んだ物は作れないので、専ら炒めるか煮る、レンジで温めれば出来るような簡単な料理ばかりだ。
それでも、少しずつ食生活は改善しているし、夏バテも治った。
部屋へ帰りまずやるのは換気。昼間締め切りの部屋は、入っただけで汗が吹き出て来る程に暑い。
エアコンは寝室にしかないので、ドアを開けキッチンの方へも冷気が通るようにして扇風機も付ける。
以前は食べて帰ってこれをしながら直ぐにシャワーを浴びてしまっていたのだが、料理をすると汗を掻くのでシャワーは食後にしている。
三田村もいつもこんな暑い思いをしながら作ってくれていたのかと頭が下がる。本当に今更過ぎるが。
そうやって離れて気付く事は多かった。今は暑いけど、冬場は寒い中で作ってくれていたのかとか、忙しい中買い物に出てくれたのかとか、いつも健康に気に掛けて料理をしてくれていたのかと。
感謝の気持ちは伝えていたけれど、全然足りなかったと思った。
今日は茄子と豚肉の炒め物に、オクラと胡瓜の酢の物、わかめスープに白米だ。スープはお湯を入れるだけのものに余ったオクラを入れてある。
メインのおかずにちょっと一品付けて、汁物とご飯。今まで三田村が作ってくれた品々を思い出しながら作る。
「……いただきます……」
レシピはスマホで検索して見つけた物で作った。食材を入力すればメニューが出て来るサイトがあるので便利だ。レシピは直ぐに見つけれれるし、作り方も簡単だった。
でも、作るのは自炊に不慣れな香川だ。まだ美味い料理は中々作れない。
炒めた茄子は少し固いし、味付けは少々濃い。酢の物は逆に薄い。スープと白米位だな、上手く出来ているのは……まぁ、お湯を入れただけだし、炊飯器が炊いてくれたので不味くなる訳ないのだが。
「……はぁ……」
美味しくない。こうやって自分で作って分かった。やっぱり三田村の料理は美味しかった、いつも、いつも美味しくて。
何年それを食べていたのか。この体は、この体の肉も血も誰が作ったものなのか。
全部、三田村が作って、支えてくれて出来たのがこの体なのだと思い知らされる。
「……三田村……」
いくら忘れようとしても舌が忘れていない。体が忘れていない。
もう遅いのに。いまだにこの感情が友情以外のものではないと言えないのに。
好きになって貰う資格など自分にはないのに。好きになれる資質も自分にはないというのに。そんなの単なる我儘でしかないのに。
もう一度、またお前の手料理が食べたいなんて言える訳ないのに。
「……ごめん……」
傷付けてしまった。だからこんな痛みなど感じてはいけないのに。
箸を動かす。三田村だったらもっと茄子は柔らかいだろうし、味付けだってご飯は進むが濃いという訳ではなく。酢の物だってすっきりと食べられ、物足りなさなんて感じる事ないのに。
美味しくない。
美味しくないよ……三田村。
ごめん、謝る資格すらないのかも知れない。
ごめんもありがとうも、全てが遅過ぎた。
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