43話

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43話

 切り終えたトマトを皿に盛り付け、完成したサラダを待っていたバイトの上田に渡す。  下げたまま食洗機に入れていなかったグラスや皿を水で濯いでから中へ入れていると、出入口の引き戸の開く音の後に明るい声が続いた。 「いらっしゃいませ、お一人様ですか?」  店内に出ていたもう一人のバイトの池田が対応しているので、三田村はカウンターの中で店内に背を向けたまま作業をしていたが、耳に届いた声にグラスを持つ手が止まった。 「はい、あ、カウンターでいいですか?」 「はい、どうぞ、カウンター1名様でーす」  食洗機のスイッチを入れ振り返ると、カウンター席には香川が座っていた。目が合うと香川から口を開いた。 「お疲れさま」 「……お疲れさま……」  直ぐに視線はメニュー表に落ち、俯いてしまったが最近香川はよくTAISHOに顔を出すようになった。 「あ、さんま、あるのか」  メニュー表から顔を上げた香川は嬉しそうに顔を綻ばせた。あるよと言えば頼もうかな、と返ってきたので三田村は冷蔵庫へと移動しそうになり、いや、その前にやる事があるだろうと考え直しキッチンに並べてある伝票を手に取った。  9月下旬、残暑は幾分やわらぎ始めたがそれでも日中は30度を超える日もまだまだある。暦の上では秋といえど体感は夏と感じる日が続いていた。  三田村は夏休みが終わり専門学校が始まったが、サラリーマンの香川は特に大きな変化はない。  強いて言えばジャケットを着ている日が増えてきた、位か。今日は着ていないようで、長袖のシャツを腕捲りしていた。 「店長お休み?」 「そう、花梨さんもなー」 「そっか……最近会わないんだよな……オレ割りと曜日バラバラで来てると思うんだけど毎日三田村なの?」 「毎日はいないって、で、さんまと?ご飯セット?」 「うん……あと……」 「あー、じゃあ適当に出すわ」 「うん」  三田村の知り合いなら任せればいいと思われているのか、バイトは香川に水も出していない。  仕方なくカウンターから氷水の入ったグラスとお通しの皿を出す。 「ありがと」  喉が渇いていたのか、一気にグラスを空にするのでカウンターから手を出す。  意図が通じて、直ぐに香川はグラスを返してきた。 「今日のお通しもお前が作ったの?」  水を入れて渡すと、口は付けずにテーブルに置きお通しの皿に目を落とす。 「そうだよ、オレが入ってる時のは大体作ってるよ」  今日はコーンとクリームチーズを混ぜ味付けして、クラッカーの上に伸ばしパセリを乗せたおつまみ。クラッカーは二枚皿の上に乗っている。 「これ、上だけ食べたい」  サクサクもぐもぐ。仄かに浮かぶ香川の笑顔に三田村の口元も緩む。 「三田村、手が止まってるよ……」  キッチンの中に入ってきたベテランバイトの上田が呆れたように声を掛けてくる。  三田村の大学生時代から居るので、バイトの中ではよく知った仲だった。その分遠慮もない。 「あー、すんません、急ぎます」 「お願いね、ドリンク作っちゃうから運ぶのは池田に回して」 「わかりました」  歳は一つ上なだけだが、大学の頃からの上下関係は中々抜けない。威圧的な訳ではないのだが、頭が上がらないというか。  伝票だけ見て何もしていなかった事に気付き慌てて料理を作り始める。今のところ客から急かされたりしていないが、余りに提供が遅ければクレームになってしまう。  冷蔵庫から必要な食材を取り出すと、気を取り直して料理に取り掛かった。  香川の言葉ではないが毎日のようにこの店にいる、三田村のバイト時間は増えていた。  というのもTAISHOが試験的にランチタイムの営業を始めた為だ。平日の11時半から14時の時間帯がランチ、その時間は花梨と二人で営業しているので夕方からの居酒屋は三田村に任される事が多くなった。  今までキッチンに入る事もあったが店長不在で任される事はほぼなかった。それだけ信頼されている事なので嬉しいが負担も大きかった。  仕込みなどは店長がやってくれているが、授業が終われば直ぐにバイト先へ直行というのが週4日程あれば疲れも溜まる。弁当を作る余裕もない程だ。  だが、今はそれでもこの日々が楽しいと思えている。  それは料理を作る事に前よりも意味を見出せるようになったからだろう。  自分の作った物に「美味しかった」「また来るよ」と言われるのは嬉しい、誰かを自分の料理で幸せに出来る事が嬉しかった。  それは香川のおかげとも言えた。止めようとは思わなかったものの、香川と離れ料理をする事が楽しいと感じる事が減り、やる気も失せていた三田村の気持ちを救ってくれたのは、料理が好きだと再び思わせてくれた香川だった。  結局香川なんだと思い知らされる。  目の前に座る男が喜んでくれるから。それが原点なんだと。 「自炊してんのか?」 「ん……たまに……」  さんまの身を丁寧に解し、美味しそうに白米と一緒に食べる香川を見ていたいが、また手が止まっては仕事にならない。  三田村はまだ提供し終えていない伝票を確認しながら、包丁を動かす。 「三田村はバイト忙しいから弁当持って行ってない?」 「んー……最近はな……そもそも自炊出来てない……」 「そっか」  なんだよ、オレの弁当食いたいのか?軽口が出そうになり飲み込む。  作れる時間もないし、そもそもそんな事を言ってどうする。  だけど、香川は残念そうな顔をしている。そんな顔を見れば、もしかしたら弁当作ろうか?と言われるのを期待しているんじゃないかと……そんな風に思ってしまうのだ。  一時期、多分だけど香川はTAISHOに来るのを避けていたのだと思う。それは自分に会いたくないから。  でも、最近はよく顔を出す様になった、外食ばかりもどうなんだと思わなくもないが食べないよりはマシだし、何より酒ばかり飲むでもなくちゃんと夕飯を食べているようなので、三田村としてもその方が安心出来た。  告白はきっと香川の中で無い事になっているのだろう。あの時は酔っていたから、既に忘れているのかもしれない。  香川が気にしないなら自分も気にしなければいい。そう思ってからは、普通に、友達として接する事が出来るようになった。  もう、終わりにした。今はまだ、かさぶただから。直ぐには誰かを好きになれはしないけれど、少しずつ気持ちも落ち着いてきた気がする。  好きだという気持ちはいつか消えてなくなるだろう、そう思えるようになったのは自分の中で折り合いが付けれれるようになったのかもしれない。  今は苦しいとか、辛いとかはなく友達としての親愛で香川と対峙出来るようになった。  そんな気がしている。
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