48話

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48話

 クリスマスまであと一週間程になった。街の中は緑と赤の装飾、イルミネーションなどで華やかさを増している。  あちこちに踊るX'masの文字に辟易しながらも、何も予定のない香川も少しだけ気持ちが浮上するのを感じていた。それは子供の頃感じたクリスマスが楽しいという気持ちの名残だろう。  朝晩の冷え込みは日々厳しさを増している。コートとマフラーは手放せない。ついでに手袋も欲しい。  去年使った手袋が見つからず、香川はコートのポケットに手を突っ込み背中を丸めて歩いた。 「いらっしゃいませー、あ、こんばんは」 「……こんばんは……」 「カウンターでいいですか?」 「はい」  よく見かける女子アルバイトに言われるままにカウンター席へと着く。店に入った時から気付いてはいたが今日は三田村の姿が見えなかった。 「いらっしゃい、久しぶりだな!!」 「……はい、お久しぶりです、ここの所残業多くて……」  座ると直ぐにこの店の店主である杉並大将が声を掛けてきた。ぺこりと頭を下げながら挨拶を返す。 「えーと……あ、もうおまかせやってないんですね……」  店内の壁に貼ってあったメニューがなくなっているのを見て、店長に確認する。 「あぁ、今三田村テストでなー、ちょっと休んでる、クリスマス前には復帰するよ、ただおまかせは年明けまで休む予定だ」 「……そうなんですね、どうしようかな……」  当たり前なのだが、学生なのでテストがある。自分が学生から遠ざかっていたので失念していたようだ。  時刻は20時少し前、団体客は一組いる、そろそろ忘年会シーズンだ。香川の会社でも月末に予定している。団体客から楽しそうな笑い声が聞こえてきた。  いつも水、木曜日は考えずにおまかせ夕飯セットにしていたので、いざ注文しようとすると何を食べたいのか分からなくなる。 「えーと、じゃあオーダーお願いします」 「はいよ!」 「焼きうどんとシーザーサラダお願いします」 「はいよ、ちょっと待っててな~!」  焼きうどんを食べていると団体客が続々と帰っていった。店内の客数は一気に減ったので、途端に静かになる。若い層のグループもいないので他のテーブルの会話もあまり気にならない。 「香川君久しぶり」 「あー、お疲れ様です」  団体客のいたテーブルを片しながら花梨が話し掛けてきた。やっと手が空いたからか、カウンター席、香川の隣に腰を下ろした。  座るのは珍しいと思いながら花梨を見れば、じっと顔を見つめられた。 「……特に体調悪そうではないみたいだけど、疲れてない?」  的確だ。そんなに分かりやすく疲れた顔をしていただろうか。手を顔にやり擦るが自分ではよく分からない。 「……残業、続いてたので……」 「そっか、2週間……3週間位振りじゃない?」 「うーん……そうかなー……うーん……」 「ねぇ、ケーキ、食べたかった?」 「はい?」  見つめてくる花梨に表情はなく、いつも笑顔ばかり見ているので何だか別の人と対峙している気分になる。  怒っている訳ではないのだろうけれど、笑顔がないのは気になる。探るよう、とうよりは真意を見極めようとしているような顔だ。  元々気の強い女性が苦手なので花梨の圧に怯んでしまう。 「……花梨さん?」 「……三田村君、先月だけどおまかせにね、ケーキ付けたの、自腹でやるって言って、小さいショートケーキをデザートで」 「……え?」 「香川君誕生日なのかなって思ったけど違うんでしょ?じゃあ、香川君が食べたいって言ったのかなって……三田村君に聞いても何も言わなかったけど」 「……」  確かにたまにはケーキが食べたい、みたいな話はした。でもそれはクリスマスの話……だけど三田村はクリスマスに一緒に食べられないからという理由でおまかせ夕飯セットにデザートを付けたのではないか……?  そこまで考えて、ある事を思い出した。 「………」  明日は来るか?そう三田村は聞いた。多分来ると思う、確かそんな風に答えた。  でも、それは約束ではない。  いつもここへ来るのはその日の気分に任せてだ。それに残業の日は来ない事も多い。  あの時は……多分、残業もあり里中と夕飯を食べに行ってしまったのではなかったか……?一人だったらここへ来ていただろうし。  それから忙しくなってしまったので、足が遠退いてしまっていた。だからそんな事があったなんて香川は知らなかった。  どうしていつもこうなんだろう。 歯がゆくて、何だか悔しい。いつも想われているのは自分で。 「香川君?大丈夫?」 「……はい」  気遣わしそうな視線で花梨が見てくる、明るい声を出そうと失敗した。言葉が詰まってしまう、こんな時いつもどうしていいのか分からなくなる。  堪らなく会いたいのに、会うのが怖いような、胸の内は複雑だ。  そしてテスト期間なのだから、会いにいける訳もない。隣に住んでいるのに。 「クリスマス前になれば三田村君また戻ってくるから、そうしたらおいで」 「はい……」  まるで幼子に語りかけるように、優しく言われた。素直に頷くと、花梨はそのままカウンターの中に入っていった。
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