50話

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50話

「ケーキ、ごめんな……」  笑顔から一転、申し訳なさそうな表情で香川が謝ってくる。三田村は意味が分からず首を傾げた。 「……作ってくれたって……あ、いや、その、別に……オレに作ってくれた訳じゃないかもなんだけど、その、食べたかったし……お前が作ってくれたの……」 「……あぁ……」  漸く合点がいった。  暫く前におまかせセットに付けたデザートのショートケーキの事を香川は言っているのだ。  残念だったけど、気にはしていない。だから香川が謝る必要はない。約束はしていないのだ、いつ来るかは香川の自由なのだから。 「またそのうちな……まぁ、あれはスポンジ買ってきて作ったから……オレが作ったって言ってもな……」  でも、あの日の客には好評だった。突然、小さいとは言えショートケーキが付いてきたのだ。  注文層は一人で来ているサラリーマンが多い、甘いものを摂る機会、ましてやケーキなどあまり食べないのだろう。  久しぶりに食べた、またやってほしい、等言われたので三田村もたまにはデザートも悪くないと思っていた。 「結構好評だったしまたやろうと思っているんだ、だから……」 「うん、また、行くな……」  香川がほっとしたように笑顔を浮かべ、残りのケーキを食べ始めた。  香川の部屋でこんな風にゆっくりするのは、学生の時以来ではないだろうか。まだ想いを打ち明ける前に何度か来た事があった。  ゆっくりと部屋の中を見回す、自分の部屋もだが特に大きな変化はない。  そういえばカーペットは学生の頃と色が変わっているような気がする、そう思いながら視線を床に下ろすとこたつの側に置いてある冊子に気付いた。 「……」  冊子の上には葉書、差出人が見え何の葉書なのか知る。それは自分にも届いたから。そして、その下にある冊子は。 「……香川」 「ん?」  賃貸住宅誌を拾い上げ天板の上に置くと、香川の表情が一瞬曇った。 「お前、引っ越すの?」 「……うん……まだ……考えてるところだけど……」  視線がさ迷っている、あまり言いたくない事なのだろうか。  三田村は冊子に付いている付箋のページを捲り、そこに載っている物件を見て手を止めた。 「……誰かと住むの?」 「え……?」  付箋のページ、最寄り駅は今とほぼ変わらない沿線上だが、間取りは2LDKと単身者向けではない。  沿線を変えないなら引っ越す必要はないのでは?でも一人じゃないなら。 「これ、同棲者向けだろ」  自分でも声が変わったのが分かる。低い声、でも感情は乗ってない。  いざ、その時が来ると意外と冷静でいられるものだとどこか他人事のように思った。  だけど、まともに香川の顔が見れず、こたつの上の冊子に目を落とし返事を聞く。 「あ、あの、それは……違うっていうか、違わないんだけど……でも……」 「でも?」 「……まだ、分からないっていうか……きいて、ないし……」 「いつ恋人出来たの?」 「いや……あの……」  しどろもどろになりながら、言い訳でも考えているのだろうか、あやふやな言葉しか香川の口からは出てこない。  オレ相手に言い訳もないだろ?  もっと、怒りとか悲しみとか、そんな強い感情が生まれるんだと思っていた。  でも実際は違う。感情そのものを忘れたみたいだ。平静という訳ではない、ただ熱はなく虚しいだけ。 「なんだ、知らなかった、そういや最近会わなかったしな……」 「あの、三田村は?アパート……」  何故今そんな事を聞く?思わず顔を上げ香川を見た。 「……は?」 「更新……」 「……しないよ」 「……そうか……」  まだアパートの更新の葉書は出していない、引っ越しするつもりはないので早く投函した方がいい。  そんな事を考えながら、三田村はこたつから立ち上がった。  体が重い、今頃になってバイトの疲れがどっと出てきたようだ。 「三田村」  必死とも取れる顔で香川が見上げてくる。部屋に来た時から思っていたが頬が赤い、多分酒でも飲んだのだろう。  今日はクリスマス、誰もいないし来た形跡もない。でも、香川にはいるんだ。一緒に住みたいと思う誰かが。  もしかしたら、昨日、クリスマスイヴを共に過ごしたのかも知れない。 「……じゃあ、おやすみ」 「三田村、お前勘違いしてる……」 「何を」 「だから、恋人じゃない……その、まだ、そういうのじゃなくて……住むのも……」 「勘違いじゃないだろ、恋人じゃなくてもお前には一緒に住みたいって思う奴がいるんだろ、聞いてないだけなんだろ……でも住もうって思うなら良い仲なんだろ……同じだ……」 「いや、そうじゃなくて……待てって……」  玄関までは数歩の距離、大股で行けば香川も慌ててこたつから抜け出た。 「三田村」  追いかけ何を言おうというのだ、何も聞きたくなどなかった。三田村は振り返らずにスニーカーを履こうとしたが、背中に勢いよく香川が抱きついてきたのでよろけそうになった足を踏ん張る。  突然過ぎる出来事に静まっていた気持ちに波紋が生まれる。 「何の真似だ」 「お前が帰ろうとするから……!」  抱きついて来たといってもロマンチックな物ではない。むしろぶつかってきた感じで背中が痛い。  玄関先で危ないだろうと言ってやりたかったが、きつく抱きしめられているので首を動かすのが精一杯だ。斜め後ろを見れば香川の黒髪が見える。 「香川」 「三田村……帰るなよ」 「……」  呼ばれて顔を上げた香川はうっすらと頬を染めていて、それが酒のせいだって分かるのに酷く扇情的に見えてしまい三田村は勢いよく正面を向いた。  そんな顔で見ないで欲しい。  そんな必死な顔をしないで欲しい。勘違いしそうになる。 「……帰る」  声を絞り出し、拳をぎゅっと握りしめる。そうしないと、抱きしめてしまいそうだったから。
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