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電話があったのはつい先日の事だった。 事務員の菅原さんという男性が、あの人の机にある私物を持ち帰ってもらえないかと相談を持ちかけてきた。 「いらっしゃるのに抵抗があるならーーーこちらでまとめて郵送させていただきます… ただーーー…勝手に旦那様の私物に触られるのも…抵抗があるかなと思って… 一応確認で、ご連絡させて頂きました」 細くて、優しい、穏やかな声だった。 私はなんと答えるのが正解か分からないままに、今日あの人の私物を取りに行くと菅原さんに伝えた。 大学に行く時間は午後5時。 菅原さんは午後5時半までいるからいいと、あっさりOKしてくれた。 私がこの時間にあの人の荷物を取りに行くのには理由がある。 今日の、この時間だったらーーー私は彼に会う事は絶対無いからだ。 私は近々ーーー彼との関係を断つつもりでいる。 彼は了承しないかもしれないけど、こんな生活を続けていてもーーーー彼にとってプラスになる事は何一つないと思った。 私はもう、少しずつその準備を進めている。 私は大学の門をくぐり、正面入口でインターホンを押した。 きっと私を待ってくれていたであろう菅原さんの声がして、私は扉を開けてもらう。 私は小さく頭を下げて、微笑みらしきものを浮かべた。 菅原さんも頭を下げて、それに応えてくれる。 あの日はーーーあの人と一緒に入ったから大学内にも薬品庫にも入れたーーー… でも今カードキーを持っていない私は、こうしなければこの大学に入る事は出来ない。 私が学生だった頃はカードキーなんてなかったのに、時代の進歩とはすごいものだ。 私は菅原さんに案内され、あの人の使っていた研究室へと向かう。 学生の時以来ーーー…一度も見たことない、あの人のデスク。 十数年前の私はあの人が紳士的でユーモアもあってーーー優しい人なんだと信じて疑わなかった。 私はあの人のデスクに向かい、手を伸ばす。 どこから手をつけようか。 冷静で居なくてはーーーーあの人が死ぬ、あの日までーーーーあの人が使っていたーーーーこの机ーーーーー そう考えるとあの時と同じように、呼吸の仕方さえ意識しないとままならなくなりそうだった。 「湯川さん」 その声に、心臓が止まりそうになる。 気のせいだと思いたい。 だって菅原さんがこの研究室を開けてくれた時、部屋には明かりがついていなかったから。 「菅原さんの来校者受付表を見たんです。 ーーーー今日…俺が居ないって…そう思ってこの時間に来たんですよね?」 私はゆっくりと振り返る。 振り返るこの瞬間も、嘘だと祈るような気持ちで。
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