178人が本棚に入れています
本棚に追加
/97ページ
「ーーー本当にいいの?」
パジャマに着替えた私は紺田君の背中に声をかける。
不覚にも、少なからず、緊張している自分。
「いいですよーーー湯川さん寝れないと…心配なんでーーーー
俺はショートスリーパーだから、大丈夫です」
私の眠りを妨げないつもりなのか、いつもより落ち着いた声でそう言われる。
私はお礼を言って、寝室の電気を消した。
暗闇に目が慣れてきて、私の視力は紺田君の背中の輪郭を捉え始める。
そうして思い出す。
昔よくこうやってーーー
ーーーー彼の輪郭を見つめていた事。
紺田君よりもっと細くて薄いーーー暗闇に浮かびあがる白い背中にーーーそっと触れるだけで安心できた事ーーー
ーーーーーーーーーー
「湯川さん」
紺田君の声に、現実に引き戻される。
気づけば私は紺田君に、ぎゅうと抱きしめられている。
抵抗したいのにーーー自分の中に発生している生命を思うと、それすら躊躇われる。
「ーーー湯川さんの子供がーーーー
……誰の子供でも構いません……湯川さんが俺を好きになれないならせめてーーーー
……もう少しだけーーー…一緒にいたいんです…
ーーー…湯川さん俺の前から…居なくなろうとしてますよね?
山本さんと店長が話してるの聞きましたーーー湯川さんがーーーエッジハウスを辞めるって」
私はまさか知られていたとは思わずに、慌てて紺田君に訂正した。
「違うよーーー!
…どのみち…こんな状態じゃ働けないし…迷惑かけるだけだからーーー…って思ったからでーーーーー
紺田君を避けようとしたわけじゃないの……!
ーーーーだけどーーー…
ーーーーだけどやっぱり…こういうのはダメだと思う……!
私はきっと紺田君をーーーーー」
「悲しませる、ですか?」
後ろから聞こえた、低くて、ハリのある声。
その瞬間、私を抱きしめていた紺田君の身体も、一気に緊張する。
研究室の奥にある、小さな資材室。
いつからそこにいたのだろう。
もしかしたら今日、私があの人の荷物を取りに来ることを知っていてーーーーこの男性はここの資材室に身を潜めていたと言うのか。
「ーーーー君達がそういう間柄だったとはね…
予想もしなかったよーーーー
葛西君や、山本さんにも言えないーーー秘密の関係ってやつかい?」
私は思わず後退ろうとした。
その私の体に、紺田君はまだ手を回したままだ。
「……盗み聞きっすか……
……イイ趣味してますね」
紺田君は苦笑したように吐き捨てた。
「君だってしてただろ?
ーーー俺はそれに刑事だから…
…真っ当な理由があるんだよーーーー」
澤田さんは笑顔を保ちつつ、はっきりとそう言い返す。
そして澤田さんはあの日私にそうしたように、再びポケットから白い紙を取り出し、私の前でその紙を開いた。
「湯川美緒さんーーーー貴女をーーー
…津田先生の殺害容疑で逮捕するーーーー」
私はその瞬間、息をしていなかった。
こうなるかもしれないと思っていたし、こうなって当然だとも思えた。
「ーーー雨谷明の白衣を借りたのはーーー貴女ですねーーーー」
私は返事をしなかった。
気づかれてしまったかと、ただそう思った。
白衣なんて何枚もあるからーーーーバレないと思っていたのにーーーー。
「湯川さんーーーー」
紺田君が私の名前を呼んだ。
紺田君の表情は、まるで私がこうなる事を、覚悟していたかのようだった。
「紺田君……ごめんね……」
私は何故か少しだけ微笑んだ。
それ以外にどうすればいいか、今は分からなかったから。
最初のコメントを投稿しよう!