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湯川美緒
俺はこの名前を、きっと死ぬまで覚えているんだと思う。
俺の名前ーーー澪という字は、読み方を変えれば澪とーーー漢字は違えど彼女の名前と同じ読み方をする。
それが偶然では無くてーーーまるで美緒と俺はもしかしたら昔同じ人間か同じ動植物だったんじゃないかと思える程、俺達は自然に恋に落ち、愛し合う様になった。
ーーーーーーーーー
彼女に出会った時、俺はまだ大学3年生だった。
昔から勉強は好きだった。
特に理系の勉強は、国語と違い明確な答えが出るところが面白かった。
小学校のテストでつけられる、国語の減点の意味が、俺にはよく分からなかった。
国語も算数や化学と同じ様に、マルかバツで採点をしたらいいのにと、頻繁に思っていた。
中学高校と上がってからも、国語は苦手だった。
主人公の気持ちになってとか、文章構成とか、よく分からない。
伝わればいいんだ、伝われば。
もっと言うならわざわざ伝えなくても、わかってほしいなと思ったりする。
「久しぶりだね!
お母さんからは聞いてたんだけど…なかなか会う機会なくてーーー
もう入学してから1カ月経つのに」
昼食を食堂で取ろうと並んでいると、後ろから聞こえる話し声。
女性の甲高い声が苦手な俺には居心地が良い、少し低めの落ち着いた声だった。
「俺も少し前にミオが京帝大に入ったって聞いて。
でも学部違うと会えないと思ってたから、びっくりしたよ」
す
ミオーーーだって。
俺も子供の頃、良く間違えてそう呼ばれた。
その度に「澪です」って何度訂正しただろう。
どうやらこのミオさんと後ろの男性2人は、久々に大学で再会した感じらしい。
俺は食堂の壁に書かれているメニューを見ながらぼんやりとそんな事を考えた。
ーーーー何にしようかな…。
カレーかな…あ、でも、今日白い服着てるからな…
本日のおススメーーーチキン南蛮定食がいいかな…
「よ!お疲れ!」
お盆とコップを手に取った瞬間、横から声をかけられた俺は面食らった。
黒い短髪に、白い歯。
程良く鍛え上げられた均整の取れた体型。
テレビに出てる俳優さながらに微笑んだのは同じ学部で俺が唯一苦手とする伊賀翔也だった。
「珍しいな。青木と昼食一緒になるなんて」
「あーー…そうだね…確かに…」
伊賀は手に、ビニール袋に入ったカタログを掛けていて、そのカタログの表紙には赤いリボンが結ばれてる。
ーーーー先程の声の主の女性に…なにかプレゼントでもするつもりなのだろうか…それとも旅行券とか選んで…一緒に旅行とか…?
ーーーーリア充…ってコイツのことだ…そんな事を考えた俺は、既にメニューが決まっているのに再びメニュー表に視線を向け、伊賀との会話を強制終了させる。
入学してからずっと、俺はこの伊賀という男がなんとなく苦手だ。
俺に嫌がらせをするとか、理不尽な事を言ってくるとか、そういう訳ではない。
ただこの男のーーー爽やかな笑顔と、完璧な人間らしい仕草や受け答えが、なんだか作り物の様に思えて仕方なく、苦手だった。
腹の中を絶対に見透かさせない笑顔と、本心を完璧に隠してしているであろう、受け答えーーーー。
それはあまりに完璧でーーー逆にそれが何か裏があるんじゃないかと、俺をいつも警戒させる。
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