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00 プロローグ
ひとりで立つステージはとても暑くて、そして冷たかった。
中学三年間の集大成とも言える、一月末の吹奏楽ソロコンテストを終えて、僕が覚えていたのはそれだけだった。
流れる汗が目に入り、顎まで滴って唇に当てた楽器が滑る。体も熱いはずなのに、指先だけはとても冷たく思い通りに動かない。呼吸が浅い、すぐに息が切れる。実際に立っているときはそこまで意識しない。でも、一度舞台のそでに引っ込むと暗闇の涼しさも相まって、余計に舞台が暑く、自分だけが冷え切って、あの舞台が眩しく感じるんだ。
普段より雑音が混じった自分の音も、伴奏だけが響く――止まってしまった演奏も、何もかもを思い出したくない僕が覚えているのは、
やっぱり、ステージの暑さと冷たさだけ――。
「え?」
そう、思っていたのに。
「なんだ、これ」
袖と舞台を隔てる隙間から漏れるわずかな光、その先から聞こえる空気を震わせる音。それは僕にとって、暗闇に差し込む光となった。
「なんだよ、これ」
悔しさも情けなさも、何もかも置き去りにしてすぐにプログラムを確認する。
「天方――奏」
舞台袖から小さく見えるその背中を、僕は瞳に焼き付ける
全日本吹奏楽ソロコンテスト、県予選。
僕――夜澄風磨は、大失敗を犯したその場所で、とても一方的な運命の出会いをした。
その、たった三か月後。
無事高校に入学し、僕は吹奏楽部に入部した。
「どうした夜澄、なんか考え事?」
「ああいや、音楽の授業どんな感じかなーって」
僕は音楽室へ向かうため、昇降口のすぐそばをクラスメイトと歩いていた。
「初めての授業だもんなー。俺なんて音楽室入るのも初めてだよ」
部には春休みのころから参加しているから、実のところ音楽室にはとっくに慣れている。むしろそのせいか、音楽の授業で改めて音楽室に入り顧問の先生に会う、ということに妙な照れくささがあった。
「そういえば夜澄は吹奏楽部だっけ。何の楽器?」
「フルート」
そう答えた時、友人の口元にいびつな笑みが浮かんだように見えた。譜面台を机代わりにした席に座る。
「え~、フルートってなんか……」
友人も僕の動きに習い、同じように席につく、が、やはり僕の目に映った嘲るような笑みは見間違いではなかったようだ。
「女の子みたいじゃね?」
――またか。
そう思ってため息をつく。フルートを吹いている。そう言うと大抵の人はそんな返しをしてくる。「男子なのに」だとか「かわいいね」だとか。確かにフルートの外見と音色からすればそんな印象を抱くのも仕方がないと思う。実際、繊細で綺麗で、どこかはかなげな雰囲気があるし、吹奏楽でフルートを吹く多くは女子だ。
でも、吹いてみればわかる。楽器に性別は関係ない。
中学のころから、何度同じことを思っただろう。
――吹いたこともないくせに。
もううんざりというか飽き飽きして、愛想笑いを返そうと友人の方を向く。
「――っ」
その友人のすぐ後ろに、彼は立っていた。
「吹いたこともない奴が――」
その端正な顔に怒りを刻んで、
「勝手なことを言うな」
それだけ言うと、彼は音楽室の、僕とは対角線にある席へと歩いて行った。
「なんだ、あいつ。二組の奴かな」
友人は怪訝な顔をして彼の背中を見つめている。僕も同じように、ずっと彼の姿を追っていた。
「思ったより、ずっと早い再会だなぁ」
その背中は確かに、僕が追いかけると決めた、あの背中だった。
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