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契約
「事故物件?」
「ええ。ここにも書いてある様に、この物件は心理的瑕疵物件になります」
力仕事などした事ないような白く細い指で、不動産屋は少し太い黒文字で摘要欄に書かれた「心理的瑕疵あり」と言う文字を指さす。
「と言う事は、ここで誰か亡くなってるって事ですか?」
「そうですね。自殺です。丁度お客様と同じぐらいの年齢の方ですよ」
髪を綺麗に七三に分けた男は神経質そうに何度も眼鏡を上げ下げしながら俺を見る。
「自殺・・・」
「まぁ、お客様のご希望に合うものだとすると後二軒おすすめの物件はありますから」
そう言うと、ペラペラとファイルをめくり俺に見せてきた。
「・・・確かに駅にも近いし・・・こっちは大学に近い。いいとは思いますけど・・」
「けど?」
「ちょっと家賃が・・高いかな」
「そうですねぇ。こちらは築三年ですし、こっちは五年。比較的新しい物件ですしね。でも若い方達に結構人気なんですよ?」
若い人でもこのぐらいの家賃を払って住んでるという事を、男は匂わせて来る。
大学進学のため田舎から東京に上京してきた俺としては、田舎者と馬鹿にされたような気になる。だがここは我慢。
「そうですか・・・でも毎月払うものですからね。高望みして払えなくなりました。じゃ洒落にならないんでここでいいですよ」
「え?ここですか?」
驚いた男は、眼鏡の縁を持ち俺が指さした物件の資料を見る。それは最初に見せてくれた事故物件の間取りの紙だ。
「ええ、ここです。早速内見したいんですけど大丈夫ですか?」
「え・・ええ。じゃあご案内します」
「お願いします」
戸惑いを隠すように、男はそそくさと奥へと引っ込んだ。
暫く待たされた後、別の中年の男がファイルを手に出てきた。綺麗にひげは剃っているものの、寝癖がある頭からだらしなさを伺える。着ているスーツも、定年間近の刑事の様にヨレヨレなスーツ。買ったばかりなのか、胸元のネクタイだけがやけに浮いて見えた。
「お待たせしました。担当の吉原です」
「あ、お願いします」
どうやら先程の神経質そうな男は案内してくれないようだ。
吉原に促され車に乗り込む。
「今から行く物件は、○○大学にも駅にも近いですからね。利便性はいいですよ」
吉原は利便性という所に力を入れ話した。
「そうですね」
「他と比べると多少古さを感じるかもしれませんが、お隣さん達はとても良い人達ですよ。駐車場もありますしね。都心で駐車場を確保するのは大変なんですから」
事故物件と言う引け目を感じているせいなのか、饒舌に物件の良さをアピールしてくる。
くねくねとした細い裏道を抜けるとやけに広い場所に出た。
都心の駅近くと言えば、建物が密集しているイメージ。物件に向かっている間も、例にもれず高いビルがそびえ立ち様々な店が軒並み連なっていた。だが何故かこの場所は資材置き場や雑草が生い茂る空き地が殆どだ。見ようによっては、周りの建物がこの場所を避けて建っているかのようにも見える。
そんな場所にポツンとその物件はあった。
フェンスで囲まれた駐車場付きの物件。住民は仕事に行っているのか一台も車は停まっていなかった。
吉原はアパートの横の道にハザードを点け車を停めると
「さ、行きましょうか」
と、助手席の資料を持ち車を降りた。
近くで見るアパートは少なく見積もっても築20年は経っているだろうと容易に想像が出来る建物だった。
「かなり古いですね。昭和レトロって感じだ」
「ええ。昭和50年に建てられたそうですからね」
「50年?!・・と言うと、47年経ってるんですか?」
「ええ。でも造りはしっかりしてるんですよ。今までこの建物に関しては補強に入った事ないと聞いてますから」
「そうですか」
俺は改めてアパートを見上げる。
一階に三部屋の二階建て。全部で六世帯が住めるアパート。木造建築のいつ倒れてもおかしくないような建物。補強をやったことがないと言うが、やっても無駄という事じゃないのだろうか。
「それにしても、周りに建物がないなんて珍しいですね」
俺は気になっていたことを聞いてみた。
「ええ。この辺りは建築条件がややこしいんですよ。そのせいでしょう。さ、こちらです」
吉原はさらりと俺の言葉をかわし、ニコニコとした表情を崩さず案内し始めた。
少々引っ掛かりを感じたが、それ以上何も言わず黙って吉原について行く。
案内された場所は、古びた木のドアに「101」とプレートがついた部屋だった。
ちゃりちゃりと音をたて玄関の鍵を開けた吉原に促され中へと入る。古くて汚い部屋を想像していた俺が目にした部屋は、意外にも明るく綺麗な部屋だった。
玄関を入り真っ直ぐ伸びた廊下の左手に簡易キッチンが備えつけられ、右手にトイレと風呂。
「トイレとお風呂が別になってるんですね」
「はい、今は三点式ユニットバスが主流になってますが、大家さんがそう言う形は嫌いだという事で別になっているんです」
「ふ~ん」
どんな大家なのかは知らないが、頑固で五月蠅い大家じゃない事を願いつつ奥の部屋へと入る。
畳替えをしたばかりなのか、部屋に入るとムッとい草の匂いがダイレクトに鼻に飛び込んでくる。
「へぇ~結構綺麗ですね」
「ええ。この部屋はリノベーションをしましたからね」
「この部屋はって事は・・他の部屋は?」
「やってません。大家さんは昔のままにしときたいという意志が強い人らしくて」
それでもこの部屋をリノベーションしたという事は、やはり事故物件だからだという事か・・・
「あの・・ちょっと聞いていいですか?」
「ああ。何処でどうやって亡くなったのかと言う事ですか?」
吉原はお見通しのようだ。
「ええ。もしここに決めるとしたら、ちゃんと知っといた方がいいかなって思って」
「そうですね。お見かけするに、お客様は八割がたここに決めているようですし・・・」
そう言って小さく微笑んだ吉原は話し出した。
「そこのクローゼットの中です」
「クローゼット」
部屋に入って直ぐ左手に二枚扉のスライド式のクローゼットがある。吉原は中を見せるように扉を開ける。そこで人が死んだとは思えない程綺麗なクローゼットの中は、服が掛けられるよう銀色のバーが一本備え付けられていた。
「この中で・・・」
「はい。首をつられたそうです。幸い発見が早く腐敗は免れましたが、ご本人は病院で死亡が確認されています」
「そうですか」
俺は、銀色に鈍く光るバーに紐を括り首を吊る男の姿を想像した。
「でも・・・首を吊るにしても高さが足りなくないですか?ここに紐を吊るすにしても足がついてしまう」
「首をつって死ぬのに、なにもブランとぶら下がらなくても死ねるんですよ。ここをキュッと閉めるだけで人は失神してしまうそうで」
そう言って吉原は自分の首元に手を当て締めるそぶりをする。
「・・・そうなんですか」
「ご覧のとおり部屋はこの一間だけです。いかがなさいますか?他にも物件はございますけど」
「・・・・・・」
事故物件だろうと何だろうと家は家だと考えていた俺だが、実際に人が死んだ場所を目の当たりにすると躊躇する気持ちが出る。だが・・
「ええ。ここに決めます」
「・・よろしいんですか?」
最終確認と言う意味がこもっているのか、吉原は真っ直ぐに俺の目を見て言った。
「ええ」
俺もその目に答えるようにして頷く。
「分かりました。では、ご契約と言う事で」
そう言うと吉原は小さく頭を下げ、玄関の方へと促した。
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