黒い奴

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黒い奴

玄関を開けそこに立っていたのは、手にタッパーを持ちエプロン姿で立つ良子婆だった。 「ごめんねぇ突然。これね、昨日煮物作ったのよ。作りすぎちゃったからお裾分け」 ドラマの様な言い訳をしながら茶色い物が入ったタッパーを俺に差し出してくる。ほんのりと温かい。 「あ、はい。有難うございます」 そう言ってタッパーを受け取る。 「どう?片付けは進んでる?」 俺越しに部屋の中を覗き込みながら聞いて来た。 「ええ。今日友達が来てくれて一応は形になりました。後は追々やっていくつもりです」 「そう。何か手伝う事があったら遠慮なく言ってね」 「はい。有難うございます」 人の良さそうな笑顔を残し、良子婆は帰って行った。 東京でもこんなご近所づきあいがあるんだと思いながら、タッパーを冷蔵庫へしまい部屋へと戻る。 クローゼットを見ると、ちゃんと閉めたはずの扉が指三本分ぐらいまた開いている。 「待たせたな。ご近所の人が・・・」 扉を開け中を見ると、そこにアカの姿はなかった。 「帰ったのか?」 一体どんな仕組みで過去と未来を行ったり来たりしているのか。クローゼットの中に入り天井から床、壁と至る所を調べてみるが特に変わった所はない。試しにアカが座っていた段ボールの上に座ってみる。 「・・別に何も・・ないな」 そう言って腰を浮かし手を伸ばすと扉を閉めてみた。 途端に暗闇に包まれる。 (もう一人の私になりたいの) (まゆばは生まれ変われる場所なんだって) (テレビは観ないよ。友達と話す時は合わせるから大丈夫) (何処で生まれ変われるのか分からなかったから探検してた) (騒がしくなってきたから押し入れに隠れたんだ) 暗闇の中黙って座る俺の頭の中で、アカの言った言葉が繰り返される。 僅か9歳の子供が生まれ変わりたいなんて思うだろうか。自分が9歳の頃と言えば、遊ぶのに夢中で生まれ変わるなんて事考えた事もない。 (妹になりたい) 「妹・・・」 俺には姉が二人いる。末っ子の為何かと上の二人の姉よりは我儘が通ってきたように感じるが、そんな中で姉弟の誰かになりたいなんて言う考えは一切出てこなかった。 (妹は何をしても許される。テレビも観られるし怒られないし好きな玩具も買ってもらえるんだ) そう言った時のアカの目からは感情が消えたように光が一瞬消えた。 その目を見た時、俺は自分の身体の奥の方から何か締め付けられるような息苦しさを感じたような気がする。 アカの光のなくなった目を見たから?・・・違う。確かに子供が見せるような目ではない事に少々驚いた事には間違いないが、それだけじゃないような気がする。 何だったのか・・・ 暫く暗闇の中で考えていたが答えは出なかった。 「ふぅ~」 引っ越して来てからというもの訳の分からない事があり過ぎて、精神的に疲れているのかもしれないと思った俺は大きく息を吐き出し立ち上がろうとした。 「おい」 「え?」 突然男の声が聞こえたような気がした。 辺りを見回してみる。 暗闇に少しだけ慣れてきた視界の中、奥の方に人が立っているようなシルエットが見える。 (今度は誰だ?) もう驚くと言うより、また誰か来たという感情の方が強い。 「誰だ?」 「逃げた方がいい」 「は?」 「お前も俺のようになるぞ」 「何言ってんの?俺のようになるってどうなるんだよ」 俺は立ちあがり、相手の姿を見るためクローゼットの扉を開ける。明るい光がクローゼットの中に入り込み、暗闇に包まれていた奥の方が薄っすらと明るくなる。 「・・・・だな。いなんだよな」 そう言ってため息をついた俺はクローゼットから出ると、後ろ手に扉を閉めた。
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