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顔合わせ
アパートに向かっていると俺の部屋の玄関前に誰かいるのが見える。大きく腰が曲がった老人のようだ。老人はその曲がった腰を精一杯伸ばすようにして俺の部屋の中を気にしている。
(誰だ?)
ポケットから鍵を取り出しながら、少し警戒するようにして近づいて行く。
ちゃりちゃりという鍵の音に気がついたのか、老人は俺の方を見ると
「あ~あんたがここに新しく入ったという人かい?」
ガラガラにしゃがれた声でにこやかな笑顔を向け言った。
年の割に毛量の多い髪は真っ白で、短いながらも猫っ毛なのかふわりふわりと揺れている。シミや皺が多い顔は穏やかな顔つきをしており好々爺という印象だ。声さえしゃがれてなければ完璧な昔話に出てくるような正直爺さんと言う雰囲気。ただ一つおかしな所と言えば、それ程寒くもないのに両手に毛糸の手袋をしているという事だ。
「はい、そうですけど・・」
「そうかいそうかい。わしはこのアパートの大家をしてる日下部と言うものでね」
「あっ!大家さんでしたか。すみません、挨拶に伺おうと思っていたんですがバタバタしちゃってて・・」
俺は一気に警戒を解く。
「はっは。いいんだよ。若い人は何かと忙しいだろうしね。暇なわしから参上したという訳だ」
にこやかに笑う笑顔にホッとした俺はこれからお世話になるという挨拶と共に、自分の事を簡単に説明する。
不動産屋の話を聞いてこだわりがある様な人だと勝手に思っていたが、物腰の柔らかいお爺ちゃんだったようだ。
「ここから歩いて五分くらいの所にわしの家がある。何か困った事があったらいつでもおいで。一人暮らしだし誰かが訪ねてくれるのは嬉しいものだからね」
「あ、お一人なんですか。じゃあ今度、遠慮なくお邪魔させていただきます」
「あ~おいで。何だったら今からでも来るかい?」
「え?今からですか?」
「丁度知り合いから上等な肉を貰ったんだ。わしみたいな年寄りが一人で食べるのにはちと無理がある。そうだ!!」
日下部は皺くちゃな手を胸の前で合わせパン!と鳴らすと
「折角だからみんなで焼き肉会でもやろう!」
「焼き肉会?」
「新しい人が来たお祝いと言う事で。それに、あんたにとってもどんな人がこのアパートに住んでいるのか知りたい所だろう?一緒に食事でもすればお互い一気に知る事が出来るからね。それに肉も腐らせずに済む。一石二鳥だ!はっは」
日下部は上機嫌で笑う。
大きな口を開け笑うその口には、上の前歯が二本なかった。
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