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日下部の思い付きで急遽、アパート住民全員での焼肉会が日下部の家で行われる事となった。
学生の俺と二階の203号室に住むお婆さんは直ぐに集まれたのだが、仕事をしている103号室のOLと201号室に住む中年のおっさんはまだ来ていない。
一応日下部が、それぞれの玄関に手紙を貼って来たと言うが仕事やプライベートの用事などで来れるのかどうかも分からない。
「ま、夜は長いんだ。気長に待ちましょう」
203号室に住む老婆・・山城良子は、急須にお湯を入れながら言った。食卓には既にホットプレートと大量の肉と野菜が並べられている。山城と日下部二人で準備したという。どうやら山城は日下部とは長い付き合いらしく、日下部の家の中を勝手知った場所というように縦横無尽に動いている。
紫色の髪をショートにし、薄い色のついた眼鏡をしている。綺麗に化粧をしているため多少若々しく見えるが、手の皺やシミが年齢を物語っている。とても愛想のいいお婆さんで話しやすく、みんなからは良子婆と呼ばれているらしい。
夕方六時を過ぎた頃やって来たのは201号室に住む中年のおっさん・・畠山達也。見事な角刈り頭と無精髭が印象的なワイルドな男だ。着替えをせずに来た作業服の胸元には建築業の名前が刺繍されている。ガタイもよく雰囲気からして親方でもやっているかのようだ。
「焼肉パーティーだって?」
部屋に入って来るなり、涎を垂らさんばかりの笑顔で言った。
「はっは。畠山君は肉が好物だからな。たっぷりとあるからたくさん食べるといい」
「言われなくても食べるさ。ん?こいつ誰?」
畠山は座りながら無遠慮に俺を指さす。
「ああ。今度新しく101号室に入る御手洗君だ」
「みたらし?団子みてぇな苗字だな」
「は・・はは。よく言われます。ちなみに、御手洗は名前なんです」
「は?そうなの?じゃあ苗字は?」
「鈴木です」
「す・・鈴木ぃ?!・・・がっはっはっはっは!!」
畠山は、部屋中に響き渡るような大きな声で笑いだした。
「す・・ひひ・・鈴木?!・・はは・・名前が御手洗で珍しいのに、苗字が鈴木って・・・ははは!!」
「たっちゃん。失礼よ。そんなに笑ったら」
良子婆は苦い顔をして畠山をたしなめる。
「ははは・・・いいんです。いつも言われる事ですから慣れてます」
少々引きつった笑いを顔に浮かべ俺は言った。
実際、自分の名前を言うのは苦手だった。自己紹介や書面に名前を書く時、必ず確認され、そして笑いをかみ殺した表情をされるのだ。
「でもね、親御さんが付けた名前でしょ?両親の事も笑われてるような気がしない?ほら!たっちゃんいい加減にしなさい!」
まるで自分の事の様に良子婆は言ってくれる。
「はぁはぁ・・すまん。確かに失礼だよな。でもさ、御手洗って言う名前はいい名前だと思うぜ」
「そうですか?」
「ああ。あだ名がつけやすい」
「あだ名・・・」
「そう。団子だ。これからお前の事を団子って言うから」
「たっちゃん!!」
良子婆の声が大きくなる。
「あ、いいんです。実際友達からは団子って言われてますから。かえってその方が慣れてるから俺も丁度いいんです」
「でもねぇ」
「本人がそう言ってるんだしいいじゃん。よし、団子。宜しくな。何か困った事があったらいつでも俺の所に来い。出来る事だけ助けてやる」
「はは・・・有難うございます」
思った事を直ぐに口に出すタイプのようだが、どうやら悪い人ではなさそうである。
賑やかな畠山が来たお陰で、食卓には酒が追加された。日下部は飲まないが、酒好きの畠山用にいつも置いてあるという。
七時を過ぎた頃、玄関のチャイムが鳴った。
「お?瞳ちゃんが来たかな?」
そう言って腰を上げた日下部はいそいそと玄関の方へと行く。
玄関の方から誰かを迎え入れる日下部の声が聞こえ、暫くすると若い女性を連れて部屋へと戻って来た。
「?!」
俺はその女性を見て一瞬息を飲んだ。
何故なら、全身真っ黒な服装で来たからだ。黒く艶のある長い髪は顔を半分覆いまるで、あの有名な井戸から出て来る〇子の様。髪の隙間から見える肌は真っ白で、血色の悪い唇がより一層幽霊感を醸し出している。
「お仕事お疲れ様。瞳ちゃんはそこに座って」
良子婆が女性をいたわるようにそう言うと俺の隣に座るよう促す。
「・・・・・・」
瞳と呼ばれた女性はサラサラと衣擦れの音だけをたて俺の隣に座る。その瞬間フワッと線香の匂いがしたような気がした。
「さて、みんな揃ったようだから焼き肉会を始めようか!」
日下部の号令で、ホットプレートの上に肉や野菜が乗せられる。
それぞれの自己紹介をしながら次々と焼かれる肉や野菜。
畠山は肉より酒の方がいいらしく、つまみ程度に食べながら専ら俺のこと聞きいじって来る。良子婆は専らホットプレートの管理に勤しみ、日下部は肉より野菜の方が好きだと言いながら、前歯が二本抜けている歯で虫の様に食べている。ただ、家の中でも毛糸の手袋を取らないのが少々気になった。
上等な肉だと言っていた通り、歯がいらないほど柔らかく美味い肉だった。焼き肉のたれで食べるのは勿体ないと思った俺は塩やワサビで食べたりと、肉に舌鼓を打つ。
そんな中意外にも俺より最も食べたのは瞳。黙々と箸を動かし肉や野菜を口に運んで行く。
大量の食材が、細い身体に面白いように吸い込まれていく。
「凄いですね。痩せの大食いって奴ですか」
俺は冗談のつもりで言ったのだが、その言葉を聞いた瞳はぴたりと箸を止めた。
「あ・・・」
「いいのよ瞳ちゃん。どんどん食べてね。私もどんどん焼くから」
フォローするように良子婆が慌てて言った。
その言葉を聞いた瞳は、何事もなかったように再度箸を動かす。
(俺何か悪い事言ったかな)
何となくばつが悪い感じでいると、目の前に座る畠山が赤い顔をニヤニヤとさせながらこちらを見ているのに気がついた。
かなり酒を飲んでいる様に思えるが、赤い顔の中にある目はしっかりと俺を捉えている。
(何だ?ニヤニヤして。感じわりぃな)
先程のが失態と言えるのかどうか分からないが、気まずくなったのは本当だ。その事を面白がってニヤニヤとしてるのだと思った俺は、畠山から視線を外し肉を食べるのに集中した。
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