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帰還と打診
慌ただしい中、やっとのことで王立学園に戻ってきた。
馬車から降りて、私は校舎を眺める。
数日ぶりだというのに、もう懐かしい感じがする。気のせいかもしれないけれど。
クリストハルト様には、なんと言ったらいいかわからず「ありがとうございました」と頭を下げたら、すっかりと私の知っていたクールな表情に戻ってしまった彼は「いや、かまわない」とだけはっきりと言った。
「イルザ、君も待っている人がいるだろう。早く顔を見せて安心させておあげ」
「は、はい……!」
私はもう一度クリストハルト様に頭を下げてから、女子寮へと駆けていった。
「ただいま戻りましたー」
そう寮母さんに挨拶したら、寮母さんは「あらあら、まあまあ」と答えた。
寮母さんはシャルロッテさんと、なんとアウレリア様を伴って出てきてくれた。
シャルロッテさんは私を見た瞬間に「イルザさん……!」とそのまま駆け寄ってきて手を掴んできた。
「ご無事でよかったです! 本当に……よかった……!」
シャルロッテさんは、それはそれはもう、赤い瞳から涙をいっぱい溢していた。うーん、罪悪感。そしてアウレリア様ときたら、私に向かって大きく頭を下げてきたのだ。
「大変申し訳ございません、イルザさん。まさかあなたを巻き込むことになるなんて、思ってもみなくて」
「わーわー! 顔を上げてください、アウレリア様……! なんで謝られているのかよくわかりませんからぁ!」
私はぶんぶんと首を振った途端に、ギュルルルルルルルルル……と獣の鳴き声のような音が立った……そういえば私、誘拐されてから、まともに食べてなかったわ。数日は気絶してたし、捕まってからもかったい黒パンとスープくらいしか食べてない。
私は「ハハハハ……」と笑ったら、アウレリア様が「いらっしゃい」と呼んできた。
「わたくしの部屋でお話ししながら、食事を致しましょう。シャルロッテさんもいかがですか?」
「えっと……お邪魔にならなければ」
「あなたもずっとイルザさんを心配するあまり、まともに食事が取れてないでしょう。ついでにあなたも召し上がりなさい」
「は、はい……」
こうして私とシャルロッテさんは、アウレリア様に連れられて彼女の寮室へと向かっていった。
アウレリア様の寮室は私たちとほぼ変わらないのだけれど、公爵家から数人ばかり許可をもらって使用人を入れているせいか、サロンのとき同様に料理を用意してくれた。
出してもらった野菜スープにザワークラフトを、私とシャルロッテさんが夢中で食べていると、それを眺めながらアウレリア様は溜息をついた。
「本当にごめんなさいね。今回は我が殿下の怨敵になり得る方々の誘き出しをしたかったのですが……まさかイルザさんが誘拐されるとは思いもせず……あの子からはどれだけ話を聞きましたか?」
うーんと、たしかにクリストハルト様も言ってたなあ。
元々うちの議会が癒着でギットギトになっているから、王太子殿下とアウレリア様で癒着している勢力を一掃しようとしていたと。
そのせいで、王太子殿下が玉座に就かれると困るから、第二王子であるクリストハルト様を担ごうとする動きがあったと。
そっかあ……いきなり王太子殿下が一時帰国したからどうしたんだろう、お披露目なのかなくらいに思っていたけれど、ここで誘き出しに乗った人たちを一掃しようとしていたんだ。今年の夏にはアウレリア様も卒業なさるから、そこで玉座が交替するはずだったしなあ。
シャルロッテさんは、一生懸命ソーセージを囓りながら尋ねた。
「あのう、どうしてイルザさんは誘拐されたんでしょうか? まさかクリストハルト様を言うこと聞かせるために、彼と懇意のイルザさんを……」
「いえ。単純に彼女は宮廷魔術師としてスカウトが来ているくらいの薬の腕ですからね。イルザさんに自白剤を大量につくらせた上で、あの子や王太子派の貴族を自白剤を使って弱みを握った上で、寝返るように脅迫したかったのでしょう」
「……私、あそこで大量に惚れ薬つくっちゃったんですけど」
これのせいで、大量に王太子派と議会派のBL乱舞がはじまったのかと思うと、いたたまれない。
気まずい空気の中、アウレリア様は「あ、の方々は全員確保しましたから。全員薬が抜けるまでは個室にいるはずですから、薬が抜けたあとは大丈夫かと思います……多分」と慌てて言った。
うん、大丈夫だといいよね。ごめんなさい、王太子派の皆さん。
「さて、わたくしの話が以上でしたけど、イルザさんはどうでしたか?」
「どうって……」
「わたくしはあなたがあの子のところに嫁いでくれたら嬉しいのですけど」
「ぶうぅ」
私はスープを気管に詰め、むせた。
「イルザさん? イルザさん?」
「ゲホッゲホッ……だいじょーぶだいじょーぶ……いや、私とクリストハルト様だと、身分的に問題あるじゃないですか。そもそもクリストハルト様、どうして今まで婚約者がおられなかったんですか? もうちょっと早めに婚約者ができてたらこんなことには」
「あの子ねえ、一度王都を離れたときに、好きな子ができたみたいで忘れられなかったというのがひとつ。あと議会派が大量にお見合いの話を持ち込んできたから、それを片っ端から陛下と我が殿下でストップをかけていたから、お見合いも婚約も話が遅々として進まなかったのがひとつ」
「ああ、なるほど……」
シャルロッテさんは「まあ……」という顔で私のほうを見てくるから、思わず視線を逸らした。
しかし、公爵家の方であるアウレリア様が、どうして私をクリストハルト様の婚約者に勧めてくるかは、なんとなくわかった。
お父様が王都の政治に全く興味を持たず、自領の仕事しかしてないからだ。王太子殿下を脅かすことない立場で、クリストハルト様が気に入っているとなったら、反対する理由がないんだ……自分でここで自惚れてしまっていいのかは、さておいて。
「まあ、あの子のことだから、まともに告白もしてないでしょうけどねえ。もしイルザさんがあの子を気に入ってくれたのなら、わたくしはそれが一番嬉しいのだけれど」
そう言って締めくくられた。
出された黒い森のケーキもおいしくいただき、私たちはアウレリア様の寮室を後にした。
帰りながらシャルロッテさんが尋ねる。
「あのう……結局イルザさんとクリストハルト様は……」
「どうもクリストハルト様、自領に滞在してたときのことが忘れられなかったらしいの。私、毎年の恒例行事だったから、申し訳ないほどになーんも覚えてなかったんだけれど」
「そう……だとしたら、クリストハルト様がおっしゃっていたのは、全部……」
あれだけ甘い言葉を垂れ流していたのを、私は「あはは」と半笑いになった。
「大丈夫かな、クリストハルト様。黒歴史が過ぎて、寮に戻ったら最後、寝込むんじゃないかな」
「あのう……イルザさんはどうされるんですか?」
「……今のまんまじゃ、『好きです、お付き合いしましょう』にはなれないんじゃないかなあ」
「え?」
意外そうなものを見る目で、シャルロッテさんに見られた。私は手をひらひらとさせる。
「だって、私が今ここでクリストハルト様好きですアタックしたところで、クリストハルト様の弱点がひとつ増えるだけじゃない。皆が皆、私がうっかりとつくった自白剤に目が行っていたけど、私がクリストハルト様に無茶苦茶告白されまくっていたことは知っている訳だし」
「まあ……」
「そもそもそれが原因で誘拐もされたしね。寮にいたのに、忍び込まれたらなんにもできなかったし、誘拐先で怖がりながら薬の調剤以外できなかった。私にはまだ、メイベル先生みたいな知力も、アウレリア様みたいな権力もないから、王城に戻ったら魔物住まう権力闘争しないといけないクリストハルト様の足手まといにしかならないじゃない。だから、まずは力を付けないと」
私はむんずと力こぶをつくった。
「メイベル先生のスカウト、乗ってみることにする。宮廷魔術師になって、力を付ける。そのあとだったら……好きだって言っても迷惑にはならないよね……」
最後は自信がなかった。
気持ち自体はもう、とっくの昔に固まっていた。ただ私には意気地が足りなくって、好きのひと言だって軽々しくは言えなかった。
ただそれを、シャルロッテさんはとうとうクスクスと笑ってくれた。
「……わたし、やっぱりイルザさんみたいになりたいです」
「シャルロッテさん? 多分私みたいにならないほうがいいですよ? アホ娘だって言われますよ?」
「だって、わたし。できることをなんにも考えてませんでしたから。ずっと流されっぱなしで、ただドミニクさんを見ているだけで満足しようとそればかりでしたから。でも……やろうと思えばできますよね?」
「ええっと。家のことは大丈夫? シャルロッテさんが気持ちを諦めようとしていたのは……家のためだったけれど」
「わたし、もう一度出家すればいいんだということに、やっと気付きました。王都の修道院に入ります。そして権力を得ます」
おおっと。
普段からぽやぽやしている無茶苦茶可愛い子が、無茶苦茶すごいこと言い出したぞぉ。
でもそういやシャルロッテさん。私が魔法薬調剤以外がポンコツな中でも、成績優秀だったもんなあ。
修道院の上層に登り詰めたら、ある程度の自由は手に入れられる。それこそ、王都内であったら結婚も許されるようになる。籍は入れられずとも、内縁婚は普通に認められるのだ。
ああ、一度実家に捨てられた身で、実家の都合で連れ戻された中、実家よりも大事なものを得たから、今度はシャルロッテさんが実家を捨てる覚悟を決めちゃったんだなあ。
私たちは手を取り合った。
「……頑張ろうね、卒業までに」
「はい。頑張りましょう」
それぞれの恋に突き進むためには、まだ私たちはなんにも持ってはいない。
誰にも口出しされないようになるためには、進むしかないのだ。
****
それからというもの、私たちは図書館でひたすら勉強するようになった。
今までは魔法薬調剤以外はポンコツだった私も、宮廷魔術師を目指す以上は他の勉強も及第点までは上げる必要がある……特に古代魔法書を読むためには古代神殿文字を覚える必要があり、前以上に講師の先生を捕まえては勉強したり、メイベル先生のところで読み方を教わったりするようになった。
シャルロッテさんはシャルロッテさんで、修道院で権力を得るために覚えないといけない聖書の丸暗記をして、なおかつそらんじるようにならないといけないから、これまた大変だ。聖書は全部で三冊あり、これも全部古代神殿文字で書かれている。
中庭で毎日のように暗唱をしているのを私は教科書を読みながら聞いていた。
アウレリア様も卒業が控えている上に、そろそろ王太子妃として国を挙げての式典も迫っているため、なかなか学園に顔を出すことができなくなり、サロンもこのところ閑散としている。それでも私たちが一生懸命勉強するようになったからか、「差し入れです」とケーキとお茶を差し出されるようになったから、私たちは勉強の合間に差し入れのケーキを喜んで食べていた。
そしてクリストハルト様もまた、王太子殿下の式典に出席するべく、護衛騎士のドミニクさんともども学園を離れていることが多くなった。
黒歴史はどうなったんですかとかは、未だに聞けてはいない。
そういえば。
舞踏会から私の誘拐までの一件で、一部の王都出身の子息子女が学園を去って行った。どうも退学したらしい。それは議会の掃除と関係があるのか、親が他国に高飛びするために呼び戻したのか、詳細はわからないけれど。
そんな慌ただしい中、王立学園の生徒たちにも、式典への出席が促された。これは王立学園の生徒としての参列だから、制服でよさそう。
そろそろ今年の嵐対策で領地内を走り回っているお父様に、「式典参加のためにドレスが欲しい」なんて手紙を送れる訳ないしなあと、かなりほっとしているところで、本当に久々にクリストハルト様が学園に戻ってこられた。
気付いたら季節も夏が近付きつつある中、涼しげな顔つきのクリストハルト様が戻ってきたら、自然と清涼感を覚える。
皆が熱い視線を送る中、私は教科書を持って遠巻きに眺めていた。
惚れ薬だと思っていた自白剤が抜けてからこっち、クリストハルト様の顔つきはすっかりと怜悧なものに戻ってしまった。口調もまた、私にさんざんいろんなものを流し込んだときよりも、温度がなくなってしまっている。
一部からは「残念」の嘆き声が響いたものの、一部からは「元のクールなクリストハルト様が戻ってらした」とむせび泣いていたのは、ファンクラブ内では公然の秘密だ。
「イルザはいるかい?」
ドミニクさんは少しだけ眉をひそめた。
「殿下、さすがにイルザ嬢には」
「だがあの場で務めるとなったら、難癖付けられかねないからね。ちょうどいいかと」
「せめて、彼女になんらかの守りは付けさせるべきです」
「既に渡しているよ」
ふたりが言い争っている中、私は「あ」と小さく声を上げた。
そういえば、クリストハルト様が全然帰ってらっしゃらないから、もらった真珠のネックレス。あれ持ったままだった。どうしよう、寮に戻って取ってきたほうがいいかな。
そうおたおたしていたところで、「イルザ」と声をかけられた。
「……お久し振りです。クリストハルト様。此度は王太子殿下のご結婚、おめでとうございます」
「ありがとう、兄上にはぜひ伝えておこう。ところで相談なんだが」
「はあ」
「……式典に参加する際、パートナーが必要なんだが。君に打診はできないだろうか?」
おおっと。
学園内でさんざん愛を囁かれてたのと、式典でパートナーとして出席するのは、意味が全然違うぞぉー。
王族が同じ王族以外からパートナー連れてくるとなったら、そんなもん婚約者以外にはいない。
思いっきり外堀埋められかけてないか、私。
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