宮廷魔術師の日常

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宮廷魔術師の日常

 王城に入って仕事をしていると、本当に数年帰っていない自領は平和だったんだなと思い知る。 「本日の荷物が届きました。全て調査した上で、選別してください」 「はい」  宮廷魔術師の仕事は、メイベル先生みたいな出向で王立学園で魔法薬調剤の指導をしているのしか知らなかったのだけれど、王城で働いてみると、あれはあまりにもワーカーホリックだったメイベル先生を休ませるためだったんじゃあ……と勘繰りたくなる。  王城に届く荷物……王族宛の贈り物や手紙、書状はもちろんのこと、ここで働く人たち当てに届いた手紙や荷物もまた、大量に魔法薬を振りかけられて検査が行われる……呪いや毒が盛られてないかのチェックだ。  私はまだ働きはじめて二年目だから王城での作業になるけれど、中には貿易をしている領地に視察に出かけて呪いや毒の鑑定を行っている人、辻馬車で呪いや毒の蔓延がないかのチェックをしている人もいるため、やっていることは量が多い上に地味だけれど、必要なことだった。  今日届いた荷物で、ひとつだけ毒判定が下った品があり、許可をいただいて確認したら、王城で働いている事務官のひとりの恋人からの贈り物だった。  ……あの人、あっちこっちで女の人に手を出しているせいで、とうとう毒物まで贈られてきたか。 「このことは、事務官長宛に連絡でいいですかねえ?」 「いいですよ。さすがに我々が呼び出しをしたんじゃ、きっと態度を改めないだろうから」  こうして、その日の呪いの鑑定はようやく終わった。  宮廷魔術師もやることは細々とあり、ここで働いている貴族用の美容液や傷薬を処方することもあれば、医者が診ても治らない王城住まいの人々の呪いの鑑定も行う。  正直ほっとしたのは、宮廷魔術師はいつかのメイベル先生みたいに、騎士団に随従することもあり得るんじゃと思っていたけれど、それはメイベル先生にきっぱりと「適正のないことはさせない」と言われた。それにはほっとした。ほっとした。  大昔にはもっと火の玉を出して騎士の剣戟よりも威力のある魔法を使うような戦争もあったらしいけれど、今はもっぱら表向きは平和そのものだった。  もっとも、小競り合いや鍔迫り合い、権力闘争がある訳だから、陰湿な呪いの応酬みたいになって、王城から宮廷魔術師を外せなくなってしまったのだけれど。  私のように、魔法の素質は特にないけれど、魔法薬調剤だけは得意という、よくも悪くもせせこましい人間は、王城でちまちまと呪いチェックを行う薬を調剤して、呪いの鑑定を行ったり、要人のために魔法薬の処方を行ったりするほうが性に合っていた。 「ああ、お疲れイルザ!」 「お疲れ様です」 「それにしても、あなたも故郷に手紙を送るばかりで、全然帰らないのね。やっぱり王都にいたかったからなの?」  私の直属の先輩は、最初は「メイベル女史の肝いりの弟子」みたいな大き過ぎる肩書きで入ってきた宮廷魔術師に警戒心を露わにしていたものの、蓋を開けたら王都から離れた場所に住んでいる下級貴族ということで、すっかり親しげになってくれた。  王立学園では、学内でだいたいのことは済んでいたため、王都暮らしの長い先輩にあれこれ教えてもらって、ようやくまともに日常品の買い出しや本や薬草の確保までを覚えたところだ。  私は先輩の質問にどう答えたものかと考えた。  ちなみに先輩は、式典の間も内勤でずっと呪い鑑定の仕事をしていたため、アウレリア様と陛下……去年ようやっと玉座を引き継ぐ運びとなった王太子殿下だ……の挙式を見ていないから、私とクリストハルト様の関係は全く知らない。  悪い人ではないのだけれど、人の口には戸が立てられないからなあ。そう思いながら、私は言葉を選んだ。 「王都には友達も住んでいるので、離れるのも惜しかったんですよね。自領も兄が継ぐので、私が帰る必要もないですし」 「そうなの? それは大変ねえ」 「知り合いはここのほうが多いですから……ああ、私。もうちょっとしたら修道院に行きますね」 「はあい。熱心な子ねえ」  その話を聞きながら、私は休憩時間を確認しながら、王城の裏口へと向かっていった。  修道院にはシャルロッテさんがいるのだ。 ****  王都にある修道院は、ちょっとした観光スポットになっていた。  私の知っている修道院は、もっとこじんまりとしていて、場所によっては孤児院や養老院も隣接しているという印象だったけれど、王都のものは、なんだか規模が違う。  中に入ると扉が分厚いのがわかるし、あちこちで修道女たちが掃除をしたりお話しをしたりしている。そしてなによりも。  修道院の中には、食堂があった。  王都ではお金さえ払えば値段が張ってそれなりにおいしいものが手に入るけれど、王都で暮らしている人たちが皆貴族な訳ではない。でも王都の表通りなんかは貴族や豪商用の店しかない以上、安い店を求めて、修道院の食堂を訪れる人は多かった。  寄付で賄われた食材を使って、ここで働いている人たちがつくった素朴な料理をいただく。王都でもなかなかない野菜がごろごろ入った素朴な味のスープは、ここでじゃないとなかなかいただくことはできない。 「ああ、お待たせしました。イルザさん」 「シャルロッテさん。お帰りなさい。もういただいていたの」 「かまいませんよ。今日のスープもおいしいでしょう?」  そう言いながら出てきたのは、修道女姿のシャルロッテさんだった。  実家を出るため、そりゃもうシャルロッテさんは揉めた。そもそもが、一度は家族の身勝手で捨てられたところを、これまた家族の身勝手で呼び戻されたのだから、そりゃもう揉める揉める。  最終的には、ほぼ家出同然で出家してしまったのだから、ご家族……という顔になっていた。  これは彼女がよっぽど家族に振り回される人生に嫌気が差したのか、それともドミニクさんのことが諦めきれなかったのか、未だに判断がつかない。  ただ、日頃から控えめな彼女が我を剥き出しにして貫いたのが、多分これが最初で最後だったんじゃないかということだけは確かだった。  私が王城でひたすら呪い鑑定を行っている間、シャルロッテさんは一度修道院に入れられた頃の修行のやり直しを進めていた。彼女も自由を得るために、少しずつ修道院内の位を上げていっている。  基本的に修行中の修道女は表立って外の人と接触するのは禁止されているものの、修道院内の食堂や孤児院、養老院では話が別で、こうして私が食堂に来たときに一緒に食事を摂りながら近況報告をするのが常となっていた。 「まあ……恋愛にうつつを抜かして……」  さすがに呪いの鑑定内容は伝えられないから、私の話題はもっぱら王城のゴシップだった。昔は学園内にたまに人の悪口以外に話題がない人がいたけれど、それについては今は嫌と言うほど思い知っている。  立場や仕事内容が変わると、なかなか共通の話題が出てこなくて、互いが人間ということ以外に共通点がない場合は、適当に面白い人を見繕ってその人の話題をするのが一番話が繋げるらしい。知りとうなかった、そんな切ない話。 「そうなの。よっぽど恨まれているらしくってね。多分次は事務官長にこってりと絞られるだろうから、それに懲りて女の子たちに手当たり次第声をかけるのやめるといいんだけれど」 「そうねえ……そういえばイルザさんは、もうクリストハルト様と再会なさったんですか?」  そう言われて、ドキリとする。  そもそも私が王都に残って宮廷魔術師になったのだって、クリストハルト様に会いたくてだった。私はどう言えばいいかとひとりでうんうん考えて、首を振った。 「私が王城で働きはじめてから、噂以外ではちっとも会えてないの」  風の噂によると、王立学園を卒業してからこっち、陛下の右腕として、あちこちに外交に駆けずり回っているらしい。  周りは「このまんまだと外国に外交のために婿養子に行ってしまうのでは」と思われているけれど、学園内のときと同じく、全くもって浮いた話が出てこないとのこと。 「王弟殿下は陛下の式典の際にパートナーがいたから、その方と結婚なさるのでは?」 「でもその方、卒業以降全く見ませんけど」 「身分差ですかねえ……陛下はその手のことをとやかくおっしゃる方ではないように見受けられますけど」  その手の話を事務官たちがしているのを聞いて、内心は心臓バックンバックンだった。  そのパートナー私、私ー……なんて言える度胸は、せせこましい私には微塵にもなかった。  私はフォークでスープの中のいもを突き刺して、それを咀嚼する。スープが染みておいしい。 「会えない以上、返事以前の問題だからね……言えたらよかったのにね」 「まあ……陛下が跡を継ぐ際も、なにかと国は荒れましたからね」 「そうね。そのせいで宮廷魔術師の仕事も相当増えたからね……だからこそ、クリストハルト様も陛下が行っていた外交ルートを引き継いで、外交行脚で帰ってこられないんだろうし」  議会の不穏分子の掃除のために、大量の告発合戦が行われ、そりゃもう揺れた。アウレリア様が王立学園で培った人心掌握術とコネクションがなかったら、もしかしたらおふたりはもっと危うい立場だったのかもしれない。  私が働きはじめたときなんて、ほぼ毎日のように王族宛の荷の中から呪いや毒が見つかって、それはもう右に左に大騒ぎだったのだから、よくここまで無事で過ごしてられたなというのが強い。  そう考えたら……忙し過ぎてクリストハルト様が私の存在を忘れたんじゃ……という気持ちが浮上してくる。  シャルロッテさんはやんわりと言った。 「ドミニクさんからお手紙いただいていますけど、それによるともうそろそろ帰国されるそうですから。そのときにお話しできるといいですね」 「……文通、できたんですか?」 「さすがに男性からのお手紙でしたら、修道院でも引っかかるんですけど。今はドミニクさんの実家のお姉様を通じてお手紙をいただいています」  それには少しだけ羨ましさと、ようやくふたりは進めたんだなあという感慨深さがない交ぜになる。なにもかも諦めきっていたシャルロッテさんが、数少なく我を見せた相手は、彼女のことをどう思っていたんだろうとは思っていたけれど。そんな穏やかな関係を続けていたのなら、こっちはもうそこまで心配することないか。 「……クリストハルト様、私のこと覚えてるかしら」 「イルゼさんと交流したことある方で、忘れる人はいませんよ?」 「私そこまで記録よりも記憶に残る人間でしたかね!?」 「そこまで言ってませんけど……イルゼさんの力強さは、きっといろんな方の希望になりますから。頑張ってくださいね」  シャルロッテさんに励まされ、私はようやっと頷いた。 「ありがとう。シャルロッテさんも修行頑張ってね」 「はい、お互い頑張りましょう」  こうして、食事休憩が終わって、私は王城に戻っていった。  午後からは昨日からずっと漬け込んでいた薬草を焚きはじめる。疲労回復の魔法薬は、激務続きの王城暮らしの長い人々にとっては重要なものだった。  災害続きでその対策会議で帰れない事務官たちのために、その手の薬をつくって届けるのだ。もっとも、完全回復させるものではなく、あくまで元気の前借りであり、一番の薬は魔法薬ではなくって家に帰って寝て欲しい。  シナモン、アニス、カルダモン、胡椒、千年クジャクの羽。温泉水に漬け込んでいた薬草にハチミツを流し込んで、煮る。色が付いたところを濾して、水で割る。昨日漬け込んでいた時間のおかげで、そこまで時間がかからなかった。  それらを持って、事務官室へと向かおうとしている中。 「魔法薬、できたみたいだなあ」 「ああ、メイベル先生! お帰りなさい。視察はどうでしたか?」  外回りであちこちで呪いや毒の鑑定を行っていたメイベル先生の顔を、本当に久々に見た。  私が笑顔になるのに、彼女はクスリと笑う。 「私もようやく帰ってこられてな。その魔法薬、たしか事務官室に持っていくんだったな?」 「あ、はい。皆さん本当にお疲れのようでしたので、要望が出てたんです」 「それなんだが、それを配り終えてからでいい。もう一件行ってやってくれないか?」 「あらまあ。他の方もお疲れでしたか?」  私は大鍋を見る。  事務官さんたちは多忙なものの家に帰りたがっているのを見かねて、一応全員分にプラスして予備をつくっていたから、足りることには足りる。 「はい、残ってますし持っていきますよ。どちらに持っていけばよろしいんですか?」 「外交官殿がお戻りでな。外交官殿の部屋にまで、持っていってやって欲しい」 「外交官……えっ。ええっ」  私は魔法薬を落としたり溢したりしないよう、必死に力を込めた。  メイベル先生はクスリと笑う。 「その顔、見せてやれ。殿下も相当くたびれていたからな。きっと喜ぶ」
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