合同授業で腕を組んで

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合同授業で腕を組んで

 次の日、私は寮母さんに私宛の手紙を確認したものの、梨のつぶてだった。 「手紙なんて、往復に一週間かかるでしょう?」  そう言われてしまった。それもそうですね。金策に励んでいるお父様に無事届くといいのだけれど。  あれが無事に届いたら、晴れて私は年齢差四倍婚から解放される。  そしてもうひとつのミッション。クリストハルト様にうっかりかけた惚れ薬が切れる七日後まで、なんとか逃げ延びなければならない。  既に女子寮では、キャラ崩壊しているクリストハルト様の噂で持ちきりだ。食事中も「クールなクリストハルト様派」と「頬染めクリストハルト様派」で徹底討論会が開催されている。  やめて、私のために争わないで……本当マジごめんなさい。  シャルロットさんは私が胃をしくしくさせながらミルク粥を食べているのを心配そうに眺めていた。 「本当に大丈夫イルザさん? クリストハルト様もおかしなことになっているし、イルザさんも昨日から変よ?」 「ええ……ちょっと実家の都合でいろいろあって、ね……」 「まあ。実家の都合は、なかなか解決しないものですもんね」  そうシャルロットさんはしみじみと返してくれた。彼女も婿養子を迎えなければ、自領を守れないのだけれど、なかなか上手い具合にいい人……しがらみのない貴族の次男坊三男坊で、王都から離れても問題ない人……が見つからず、お見合いも上手く行っていないらしい。  人の家の都合もさまざまよねと、私は溜息を付きながらミルク粥を完食した。  食事が終わったあと、私は屈伸運動をする。  クリストハルト様に見つかったら、逃げる。それ一択だった。昨日捕まってよーくわかったけれど、一度捕まってからだと、振りほどくのも難しいし……なにがどう不敬罪に当たるのかわからない上に、元々のクリストハルト様は氷の王子と呼ばれるほど凜々しい上に、武芸にも長けている人だから、物理的に振りほどけない……それならまだ走って逃げるほうが勝算がある。  私の行動を、シャルロッテさんは困惑した様子で見ていた。 「あらまあ。イルザさんは今日も元気ですわね?」 「あら、アウレリア様、ごきげんよう」 「ごきげんよう……イルザさんは今日はずいぶん運動熱心ですのね?」 「ちょっと、逃げなければなりませんので」 「あの子?」  言外にクリストハルト様のことを指摘され、私は「うっ」と呻き声を上げる。 「……私もさすがに第二王子となにかあって、自領やお父様に迷惑かけるの嫌ですし」 「大丈夫だと思いますけどね。わたくしもあなたが義妹になったら嬉しいですし」  ……アウレリア様がお義姉様になるのはかなり魅力的だなと、一瞬ぐらついてしまったものの、メープルシロップを耳の穴から流し込まれるような、甘い甘い言葉を垂れ流してくるクリストハルト様と、怒り心頭のドミニクさんが頭に浮かんで我に返る。 「そ、そういう冗談は、やめましょう! ええ、ここだけの話にしましょう! それでは私は逃げます!」  そう言いながら女子寮を飛び出していった。  置いていってしまったシャルロッテさんの声が耳に滑り込んできた。 「大丈夫ですかー、イルザさーん、今日は合同授業ですからどっちみちクリストハルト様と一緒になりますよー」 ****  その日の授業は外国語に芸術評論。経済学。それらをこなしていたら、合同授業の時間になってしまった。 「それでは、今日はオペラの鑑賞があります。終わりましたらレポートを提出してもらいますから、皆さんコンサートホールへと参りましょう」  その言葉を聞きながら、私は「うーうー……」と逃げ場なき足取りでコンサートホールへと向かう。  シャルロッテさんから「合同授業」と言われて、他の授業が終わったあと、即保健室でさぼろうと思っていたものの、保健室の入口には既にクリストハルト様が待ち伏せしていたのだった。 「見つけた私のバラ。今日は一緒に授業を受けられるね。日頃は同じ授業があまりないから、嬉しいよ」 「あああああああああああの、ですね。私は、今日は体調不良で、ちょっと休ませてもらおうかと……ですね」  先生ー先生ー、私体調不良。私体調不良。そのまんま保健室に入れてー。  心の中でそう思っていたとしても、言えやしない。それにクリストハルト様の背後を見て、私はあれえと思う。 「きょ、今日はドミニクさんがいらっしゃらないんですね」 「そりゃ今日はドミニクから逃げてきたから、『あのアホ娘に関わるのは本当におやめください』と言われてしまって。私の虹に失礼だね?」  ドミニクさん、あなた護衛騎士でしょ!? 護衛対象から逃げられては駄目でしょうが!? 私への暴言は一旦置いておくとして、うん。 「でも体調不良はよくないね。なら、保健室よりも女子寮まで送ろうか」  そう言っていともたやすく私をヒョイッと横抱きしてしまったのだ。  アワワワワワワワワ……これはいわゆる、お姫様抱っこという奴なのでは……。 「あああああのですね、クリストハルト様。私重いんで、降ろしてください」 「天使の羽のように軽いね、君は」 「今が軽いだけですよ。食事しまくったら重くなりますから気のせいですよ」 「健康的なのはいいことだと思うよ」  駄目だ、なにを言ってもポジティブに取られてしまう。そしてこのままお姫様抱っこで運ばれてしまったら、私は死んでしまう。なによりも惚れ薬の効力が切れたときにクリストハルト様のダメージが計り知れない。 「た、体調がよくなりました! もう大丈夫です! 元気元気! ですから降ろしてください! 授業に一緒に参りましょう!」 「うん、それはよかった」  意外とすんなりと降ろしてくれて、ほっとしたのも束の間。クリストハルト様は腕を差し出したのだ。 「このまま君を連れ去りたいのはやまやまだけれど、さすがにそれは君も困ってしまうだろうからね。君をエスコートすることを許してくれないか?」  アワワワワワワワ……。  これは多分、私が困るというよりも、クリストハルト様のほうが困ってしまうのでは。私は腕を取ることもできず、手をわきわきしていたら、クリストハルト様に手を取られてしまった。 「君の手はこっち」 「あう……」 「それじゃあ参ろうか」  参るのですか。  私はほぼ無理矢理クリストハルト様に腕を組まされたまま、コンサートホールへと移動したのだった。  そりゃもう、周りからは呆気に取られた顔で見られてしまった。 「クリストハルト様……まさかそんなアホ娘を……」  サロンで一緒になっているクリストハルト様ファンクラブの会員の皆さんが言う。私、会員番号剥奪されるかもしれない。ごめんなさい。  しかしクリストハルト様ファンクラブなんて、イエス王子ノータッチの人々だから、まだマシといえばマシと言える。  問題は。 「……なんですの、あれは」 「殿下に対して、なんと無礼な……」  サロンに参加しておらず、身分が高過ぎて未だに婚約がまとまっていないような人々からは憎悪の視線を向けられている。  ごめんなさいごめんなさいごめんなさい、私が惚れ薬間違ってかけたばかりにごめんなさい。  すっかりと私は白目を剥いてしまっていたが、こちらにおそるおそる近付いてくる姿があった。  合同授業と同時に逃げ出した私を心配して探し回っていたらしいシャルロッテさんと、同じくクリストハルト様に撒かれて慌てふためいていたであろうドミニクさんだ。ドミニクさんはよっぽど探し回っていたのか、汗のにおいがする。 「なっ、なんだ貴様! 殿下に対して馴れ馴れしい!」  怒られるのも当然です。もうこのまんま怒っちゃったください。私は白目を剥いたまま「は、はい……」と離そうとしたものの、クリストハルト様はなおも私の手を取る。 「ドミニク、あまり私の花をいじめてくれるな」  周りはどよめいた。 「わ、私の花……」 「クリストハルト様は愛称で呼ぶ派なのですわね!?」 「殿下……いったいあの女にどんな脅され方を……」  もう周りは好き勝手言っている。  シャルロッテさんはそれはそれはもう「あ、あのう……クリストハルト様……」と怖々口を開いた。 「ん、なにかな? たしか君は私の小鳥の……」 「小鳥……イルザさんはわたしのお友達で……少々具合がよろしくないようですので、殿下を煩わしくさせるのも難ですから、わたしが引き取ってもよろしいでしょうか? 女同士でなければできないお話しもありますし」  シャルロッテさん、私たち本当にお友達でよかった……!!  このまんま逃げられるんじゃ、と思っていたし、実際にドミニクさんもうんうんと頷いている。 「殿下、ここはシャルロッテ嬢の言うとおりに。おい、アホ娘。いい加減に殿下から離れろ」 「は、はいぃ……!」  私はどうにか離れようとするものの、クリストハルト様はこちらをじぃーっと見つめてくる。 「駄目?」  寂しげに瞳を揺らして、その短いひと言。  解釈違いだと怒っていたファンも、新しい解釈待ちのファンも、私のこと大嫌いな人たちまで、バタバタと倒れはじめた。  これが当事者じゃなかったら、私だって倒れてたと思う。新しい供給圧倒的感謝。  私はプルプルしながら、助けを求めるようにドミニクさんとシャルロッテさんを見た。シャルロッテさんは本気で困った顔でドミニクさんを見上げ、ドミニクさんは苦痛で表情を歪ませる……あなた本当に失礼だな? 全部私の自業自得ではありますが。 「……殿下、その辺で。そろそろ授業になりません。授業になりませんから」 「そうか。皆、すまなかったね」  男子たちは一部始終を唖然とした様子で眺めている一方、バタバタ倒れていた女子たちは起き上がると、「はいっ!!」とよい子のお返事だ。  私はというと、腕を組んだままコンサートホールまで向かい、頑張ってオペラを鑑賞したものの、隣が気になって集中できなかった。  自領にオペラハウスもオペラの公演も当然ながら行われず、事前に読んだ教科書でしか内容は知らない。  たしか、秘密裏に結婚した身分差のあるカップルが、どうにかして自分たちの結婚を認めてもらおうとドタバタする話だったと思うけど。  ちらりと隣を見ると、クリストハルト様はそれはそれは真剣な目で見ていた。私に向けられるジャムのような蕩けた目ではなく、氷のように怜悧な目。それは私がずっと遠巻きに見ていたときから憧れていたものだった。  ……今の惚れ薬でキャラが大幅に変わった彼ではなく、この表情で迫られたら、私は多分断り切れないんじゃないかなあと思う。今だって断り切れてないとか言わない。逃げられないんだからしょうがないでしょうが。  でもなあ。アウレリア様なんて公爵令嬢ながらものすっごく周りに対しても優しいけれど、多分私に憎悪の視線を向けていた高位令嬢たち。あれが本来私に向けられるべき視線だと思う……私がクリストハルト様を受け入れるってことは、ずーっと誰かと喧嘩をし続けないといけないってことで、それは田舎貴族には荷が重過ぎる。  今回は逃げ切れなかったけれど、次のこそは絶対に逃げ切る。  私はそう決意してオペラを見ていた。  ……ちなみにオペラのレポートは上手くできず「歌が上手かった」「元気だった」と書いて、先生に呼び出されたのだった。いやん。
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