みぎわの島

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 母ちゃんが浜に足をつけた。よいしょ、っていうふうに大きな布のつつみをかかえなおして、ぼうっと立ってるおれのところまで歩いてくる。あんなに楽しみだったのにおれは動けない。うつむいてたら母ちゃんの着物と足が目にはいってきた。海からきたのにぬれないんだ、ってどうでもいいことを考えてると、母ちゃんがからだをかがめた。 「健太、きたよ」 「うん」  髪につけてる草の油のにおいがした。なつかしい母ちゃんのにおいだ。それでやっと顔を見られた。やわらかいしわのある顔。やさしい顔。 「母ちゃん」 「はいはい」  母ちゃんがうれしそうにうなずく。おれは背中がくすぐったくてつまらないことをいってしまう。 「母ちゃんは海わたるのうまいな」 「もう何度もきとるがね」 「つつみ、かして。家まではこぶ」 「重たくなかね?」 「おれ、力ついたで。おじいの手伝いもしとる。薪の束も持てるようなった」 「そら偉いこと」  海に背中をむけて、一緒に浜を歩いてく。母ちゃんはなんだか歩きづらそうだ。おれは心配になる。 「足、痛いか」 「少しひざを悪くしてね。もう平気よ、砂がつきるから」  この島は北の方だけ土が盛りあがってて、みんなの家があるとこはなだらかだ。母ちゃんは道のわきに建つよその家をちらりと見た。 「どこもお客がきとるねえ」 「母ちゃん、顔出すか」  おれはみんなに母ちゃんを自慢したい。けど母ちゃんはきっぱり首を横にふる。 「よしとこ。きょうは家のもんで過ごす日やけ、邪魔したらいけん」  やぶの道をぬけて家の前につくと、おばあが表に出てきた。 「はい、海からようお越し」  まがった腰をさらにまげてお客をむかえる。母ちゃんも手をそろえて頭をさげた。 「おまねきあずかりました。変わりなかね」 「こっちは静かなもんでな。健太おいで、荷ほどきするけ」  おれが「はい」っていって土間をあがると、おばあはおかしそうに笑った。 「なんね、やたらお行儀よくして」 「おれいつもいい子や」 「はいはい、みぎわの日はねえ」  母ちゃんがおじいにあいさつして、四人でごちそうをかこむ。干し魚に木の実、もち米の蒸したやつ、おれの大好きな夏柑もある。母ちゃんが持ってきてくれたからよけいにうまい。夢中でほっぺたふくらませるおれを見て、母ちゃんはにこにこしてる。 「健太、おいしいかね」 「うん。母ちゃんどうした、ちっとも食べとらん」 「いまはお腹が満ちてるよ。健太たくさんお食べ」 「したら、おれもっと大きくなる!」  元気よくいったら、母ちゃんは黙ってしまった。どこかに気持ちをおいてきたみたいな顔してる。あれっ、て思ってたらかわりにおじいが答えた。 「おう、なれなれ。浜の男はでかくて強うないと」 「体に追いついて、潮も読めるようになるがね」 っておばあもいう。ふたりともすごくやさしくて、なんだかおれが失敗したのをはげましてるみたいだった。  ごちそうをすませると、食べすぎたおれはどうしても眠たくなってしまう。起きて母ちゃんの横にいたいのに、いつのまにか雨戸をあけた座敷で上掛けをかぶってる。みぎわの日はいつもこうだ。母ちゃんやおばあの声がとぎれとぎれ聞こえてくる。 「あの子に(ひとえ)を仕立ててきたから。着せてやって」 「もういくつになるかね」 「これで五枚やけ」 「着物の数やなかよ」 「ああ、そんなら……」  ぼそぼそいった数はなんだかやたらと多い。母ちゃんまちがえんといて。なあ、その子守唄はちっちゃい子のもんや。おれもうじき十になるんよ……  いけん、寝すぎや!  おれはぱちっと目あけた。母ちゃんはお日さんが沈むのといっしょに海に戻ってしまう。昼寝なんてしてたら時間がもったいない。上掛けけっとばして起きあがる。雨戸はぜんぶあけてあった。座敷は夏柑と同じ色の光でいっぱいだ。お日さんがだいぶかたむいてる。  うちわを持った母ちゃんが軒下に出てて、空を見あげてた。おれはあわてて起きあがる。 「母ちゃん。まだ戻らんよな」  ふりむいた母ちゃんは、こどもみたく目を丸くしていった。 「健太。お日さんが動かんがね」 「ええっ?」 「お母はずいぶん健太と添い寝しとったよ。ついうとうとして。何度か目さめたがね、途中からお日さんが進まんようなった。ずっとあそこや」  母ちゃんがうちわで空をさす。おれは座敷のきわに立ってそっちを見た。よそん家の屋根とやぶの林。そのむこうにある遠い海に、たまごみたいな黄色いお日さんが落っこちそうになってる。でも本当にちっとも動かん、こんなの初めてや。おれはどきどきした。床をどたどたいわせて土間に走ってく。 「おじい、おばあ! お日さんが沈まん」  暗がりに座ってたおじいがひどくゆっくり顔をあげた。 「ああ…… こがんなこともある」  となりのおばあは手をあわせてなにかつぶやいた。朝にやるお祈りや。きょうは忘れてたんかな。おじいがおれの肩をぽんぽんした。 「これはな、掟やぶりだで。島にきたもんが悪さしとる」 「ふうん、そうか」  おれはおとなのまねをしてうなずいたけど、母ちゃんといられるならこのままでもいいなと思う。おばあがお祈りをやめて、おれの気持ちが見えてるみたいに手をはらった。 「だめだめ、お日さんは沈まんといけん。健太、お母といっしょに、掟やぶりが誰やか探してこらんね」
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