或る男の仕事

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 ──今日は何か大切な、特別な事がある日だった気がするが思い出せない……。  ひと仕事を終えた男は心身共に疲れ果てていた。   肌に皺が刻まれ、殆ど白髪になった今も仕事とあらば昼夜を問わず働いた。         特に今回の様な長丁場の場合は曜日の感覚すら無くなるので無理もない。  ──俺は仕事以外はまるでダメだな。  男は自嘲気味に笑った。   一見すると、『老紳士』と形容したくなるほど品の良い、思慮深そうな容貌の男であった。  しかしながらこの老紳士は仕事とはいえ、もう幾人もの人間を殺めてきたのだ。  依頼が無い時でさえ、常にどうやったら証拠を残さず人の息の根を止められるか、証拠を残さす逃げおおせるかを考えていた……。  こんな殺伐とした仕事は嫌だと思ったこともあるが、自分が必要とされるまでは……と思い、続けていた。否。続けるしか道はなかったのだ。  ふと、携帯のアラームが鳴った。   アプリのカレンダーに書き込まれた文字が明滅している。  ──そうだ。今夜だった。  老紳士はゆっくり立ち上がると、身なりを整え、いつもより少し緊張した面持ちで家を出た。  着いたのは高級ホテルの最上階。   そして大広間の扉の前に待ち構えていたスーツの男が老紳士に気が付き、ニヤリと笑うと音も立てずにドアーを開けた。 「それでは皆様。拍手でお迎え下さい!! 推理小説家、犬神先生のご入場です」  割れんばかりの拍手と、目映いフラッシュが老紳士を包んだ。 「先生は30歳の時に『狼男の殺人』にて、デビューなさったあと、『○○男の殺人』シリーズで今までにない殺人トリックを数々考案。 世界ミステリ・トリック協会に初めて日本人として選出され……。そして本日がデビュー30周年の記念日であります!」 司会のやや大げさな祝辞が続いたが、褒められるのは無論悪い気はしなかった。 「さて。犬神先生。30年もミステリ作家としてヒット作を出し続けられる秘訣などはありますでしょうか?」  突然、老紳士ことミステリ作家、犬神にマイクが向けられた。  「秘訣という程ではありませんが、24時間、時には夢の中でも殺人トリックを考えています。──世に出ていない作品も含め、もうわかりません」  会場が笑いに包まれ、犬神も微笑んだ。久しぶりに穏やかな気持ちになった。  そうして無意識に思考のスイッチが入る。  ──……。                             (了)
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