§4 キス

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§4 キス

 3月の卒業式の日、弓道部の3年生の送別会が道場で催された。卒業生一人ひとりの挨拶が終わり、汐梨は贈り物を持って大空海里(みさと)の元に行き、 「海里先輩、おめでとうございます。ご指導いただき、ありがとうございました」と感謝を伝えた。 「ありがとう!これからも頑張ってね。ところで、雨宮さんは内の弟と付き合ってるんでしょ!今度、(うち)に遊びにおいで!」と耳元でささやかれ、汐梨は真っ赤になって「はい」と返事をするのが精一杯だった。  後日、汐梨がその事を奏汰に告げると、二つ返事で家に招待された。その日はちょうどホワイトデーで、部活が長引きそうという奏汰の指図で、汐梨は先に一人で大空家を訪ねた。 「海里先輩、お言葉に甘えて来ました。奏多君は部活で遅くなるみたいで、わたしだけ先に」と玄関先で挨拶を交わしていると、奥から見知らぬ少女が出て来て汐梨はびっくりした。 「じゃあ、海里さん、私はこれで」と海里に目配せをして帰って行った。 「雨宮、そんな所に突っ立ってないで上がれば」と海里に促され、応接間に通された。 「今の人は、お友だちですか?何か追い帰すみたいで、悪くないですか?」 「あの子は気にしなくていいよ!友だちと言うか、幼馴染。奏多の元カノで、今は私の彼女」と明け透けと話す海里に、汐梨は言葉がなかった。詳細を訊いて良いものか、悪いものなのか悩んでいた。 「ごめんね、いきなりで驚いたよね!私って、思ってる事をすぐに口にするタイプで、他人から嫌がられるんだ。そういう点では、弟と似ているのかもしれない。奏多はそういう奴じゃない?」 「確かに、そうかもしれません。でも、最近は慣れました」 「ただ違うのは、あいつは口だけで行動が伴わないけど、私は思い通りに行動する事かな」  しばらくの間、ソファーに腰掛けてお茶を飲みながら、二人は弓道や進学先の事を話題にしていたが、汐梨は「奏汰の元カノ」「私の彼女」という海里の言葉が引っ掛かっていた。 「さっきの子は、奏汰君と付き合っていたんですか?」と汐梨は矢も(たて)もたまらず、海里に迫った。 「そうか、言ってはいけない事だった。今さら遅いから言うけど、弟とあの子は小学校からの幼馴染で、中学生になってから付き合い出した。でも、高校が別になって、私が介入したのが原因で別れたんだよ」 「よく分からない話ですが、介入って何ですか?別れさせたって事ですか?」と疑問をぶつける汐梨に、 「違うよ!私が横恋慕(よこれんぼ)したってこと。あの子も、私が好きだったみたい」と海里は告白したが、汐梨には理解できない話だった。海里にキスをされて迫られた事を思い出し、汐梨の頭の中は混乱していた。 「雨宮、私ともう一度キスしたい?」と海里に唐突に言われ、汐梨は立ち上がって帰ろうとした。 「ごめん、冗談よ!今は奏汰の彼女だしね。奏多は奥手だから、キスはまだしてないんだってね」 「えー、奏汰君は、そんな事まで先輩に話すんですか。普通の姉弟じゃないみたい」と汐梨が声を荒げている所へ、奏汰が帰って来た。二人の様子に異変を感じた奏汰は、汐梨を自分の部屋に連れて行った。  奏多は興奮したままの汐梨をベッドに座らせて手を握り、 「姉貴に何か言われたの?姉貴は俺以上に口が軽くて、相手を傷付けるのが得意だから」となだめた。汐梨は泣きそうになるのを(こら)え、奏汰の胸に身体を預けた。 「さっき、奏汰君の元カノだという人に会った。それが今は海里先輩の彼女だと聞いて、キスしようって言われて、まだ奏汰君とはしてないでしょ、と言われて」と汐梨は支離滅裂な事を吐露(とろ)していた。 「彼女とはもう別れたし、何でもないから気にしないで!姉貴の事も、許してやって!」と弁明すると、 「キスして!わたしとキスして!」と汐梨は言い寄った。奏汰は少し考えてから汐梨を抱き寄せ、汐梨の顔を上げさせて唇を重ねた。汐梨はじっと目を閉じたまま、奏汰の唇の感触を確かめていた。海里にキスされた感覚が呼び覚まされたが、そっと目を開けて奏汰を確認した。  キスのお返しは冗談でなくなり、二人にとって忘れられないホワイトデーとなった。
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