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「市役所の職員さんにもマスターにも心配掛けてんのは分かってるさ。だがな、俺はあいつが頑張って繋いできた仕事を途中でほっぽり投げて帰ってきちまったんだ。フィリピンの農場のやつらも失望してたよ。なんも出来ねぇで歳だけ取っちまった老いぼれが、タダでいい思いなんて出来ねぇよ」  そう言う訳でさ、市役所の人には悪いけどもう放っといて欲しいって伝えてくれ。   福留さんはカップに残っていたコーヒーを飲み干すと、懐から小銭を出してテーブルに置いた。 「マスターがわざわざバラコを取り寄せてくれているのも有り難いと思ってるよ。これを飲めば供養になるってのは言い過ぎだが、このコーヒーには思い出が詰まっててな」  福留さんが椅子の背に引っ掛けてあった杖を手に取ろうとした時、須崎さんがぽつりと呟いた。 「……過去のしがらみは、他人には分からないものですよね」  その言葉に、福留さんの手が止まる。俺もチラッと須崎さんの表情を伺った。いつもと変わりはなさそうだが、どことなく遠くを見つめるような目をしていた。 「……他人の心を読むことは出来ないが故に、ああすればこうすればと色々考えてしまう」  そんなの直接聞いたら一発で分かるのに、と言いそうになって、慌てて俺は口を噤む。それってなんだか苦しそうな生き方のようにも思えるが。 「過去のしがらみと現在のしがらみと。──回り回ってひとつの縁なのかもしれません」 「円?」 「えにし、の縁です」  つい口を出してしまった俺に、須崎さんはテーブルに指で漢字を書いて示した。あ、縁日の縁か。 「福留さんご自身だけでなく、今福留さんの周りに居る人も同じなんじゃないかと思います。……福留さんの助けになれることはないかと、日々考えている。  その人達にもそれぞれのしがらみがあって、誰かを助けることで自分も救われるんじゃないかと。……ああそう。お互い様、と言えば分かりやすいのか」  すみません、うまく言い表せなくて。と申し訳なさそうに謝った後、須崎さんは顔を赤くして俯いてしまった。  須崎さんが口にする言葉を、福留さんは黙って聞いていた。静かになった空間の中で、俺もその言葉を反芻する。  お互い様とかご縁とかいう考え方は俺にはない。そういうのは面倒臭いと思っている。  だが、この団地にかかわる人々はそうじゃない。切り捨てられないしがらみを何かしら背負っているらしい。福留さんも須崎さんも、サ店の常連客も、市役所の面々だって思うところがあるから、こんな仕事引き受けるのかもしれない。  ……めんどくせぇ! ああすればこうすればと考えるのなんて、ほんとめんどくせぇよ。 「福留さん。正直に言いますと、福留さんがうん、と言って下されば柘植の木団地再生課としての実績に繋がるのでとても助かるんです。福留さんが今まで払ってきた税金の還元ですから、当然の顔をして受け取ったらいいと思います」  福留さんと須崎さんは、いささか強引に始まった俺の演説を目を丸くして聞いていたが、聞き終わって少ししてから、二人してぷっと吹き出した。 「あっはっは、若い人はストレートでいいや」 「そうですね。考え過ぎは良くないですね」  さすがに言い過ぎたかなとも思ったが、二人は前向きに捉えてくれたようだ。 「良い団地だと思いますよ、ここは」  立ち上がる福留さんに手を貸しながら、須崎さんが噛み締めるように言った。福留さんも穏やかな声で、 「そうさな。再生ってのも悪くないもんだ」  と返す。  二人にとってこの団地は良いところ、なのか。  団地を再生する。俺の仕事について何か引っ掛かるような思いが、ふとよぎった。 「再生くんよ、お前さん良い仕事してんな」 「ちょっ何ですか福留さん。再生くんて!」 「良いですね、柘植の木団地の再生くん」 「ええっ止めて下さいよ、マスターまで!」  二人におかしなあだ名で揶揄われ、俺は情けない悲鳴を上げた。 「福留さんが行政サービスを拒んできたのは、亡きご友人や、やり残してきた仕事への拭いきれない罪悪感のせいだったようですね」  福留さんが、考えてみるさと言い残して帰った後、テーブルを片付けながら須崎さんが言った。そろそろ閉店を迎える時間だ。  自分の使ったコーヒーカップをカウンターへ戻しながらふと思う。  福留さんは親友の気持ちを分かってやれかったと後悔していたが、他人の心を読み取るなんてそんなの無理に決まってる。言われなきゃ分からない。 「福留さんもご友人も、気持ちを口に出して伝えるタイプではなかったのかもしれませんね」  俺の考えを読んだかのように須崎さんは言った。 「え?」  俺はついまじまじと須崎さんの顔を見てしまった。口下手だと本人は言うが、他人の気持ちを察するのはめちゃめちゃ得意なんじゃないか、この人。接客のプロであるという以上のものを感じる。 「マスターは、どうして福留さんにしがらみがあると分かったんですか?」  さっき福留さんに対して、「ああすればこうすればと色々考えてしまう」と言っていた。もしかしたら須崎さん自身がそうやって生きてきたから、福留さんの葛藤を感じ取ったんじゃないだろうか。  須崎さんは、ん? というように顔を上げ、そのまま視線を暫く宙に泳がせてから、意を決したように口を開いた。 「前に福留さんがいらした時、近々バラコの新豆が入荷しますとだけ言ったんです。そうしたらやっぱり来て下さった。何か胸のつかえのようなものがあるのでは、でもそれを口に出せないのではと思ったんです。僕もそうでしたから」  やはり須崎さんにもしがらみがあった。──そして、それは多分。 「僕が以前シェフをしていたのはご存じでしたね、そう言えば」
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