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 須崎さんはそこで口を噤むと、ドアに掛けてあるプレートをCLOSEへと返しに行ってから、再びカウンターへと戻ってきた。続きを話そうかどうか迷っている風にも見えた。 「はい。俺、外食産業には疎くて、同じ部署の者から聞いただけなんですけど」 「ああ、あの眼鏡の女性かな。面談の後、随分と話題に出して下さって、ちょっと恥ずかしかったですけれど」  森本さん、抜かりないな。須崎さんのいたレストラン(名前はなんだったか)を推してるって言ってたもんな。  チェックの厳しい森本さんのお眼鏡にもかなう須崎さんの腕前。さすがにサ店での様子だけでは窺い知ることは出来ない。一体どんなシェフだったんだろう。 「あの方は昔の僕をご存じだったので、気恥ずかしくて言えなかったのですが、大川さん、聞いてもらえますか?」  上手く話できるか分かりませんが。そう前置きする須崎さんに、俺はもちろんと頷いた。  須崎さんは昔の話をし始めた。   「僕の家は母子家庭なんですが……子供の頃、夜勤を終えて帰宅した母が、僕の作った味噌汁の香りに嬉しそうな笑顔を見せてくれて……。その記憶がずっと残っていた。僕は料理を作る人になりたいと思うようになっていました。  それと同時に、ひとの気持ちにとても敏感な子供でした。僕の言動はおかしくはないか。誰かを傷つけたりはしていないか。周りと違ってはいないか──そんな風に絶えず周囲を気にしながら生きてきました。  専門学校を出た後、幸運なことにいろんな国のレストランで修業を積ませてもらいました。その経験を買われてビストロのシェフになったのが十年ほど前のことです」  いつになく淀みのない口調に俺は違和感を覚えた。どことなく他人事のような、そんな口ぶりなのだ。須崎さんはそんな自分のことをどう捉えているのだろうか。 「有り難いことに、僕の作る料理を美味しいと言って下さるお客様が口コミで増えていきました。僕は有名になる気も店を任される気もなかった。毎日、美味しい料理と居心地の良い空間を提供できればそれで良いと思っていた。  けれど少しずつ有名になるにつれて、店の仲間が妬むような噂を口にするようになって。一緒に頑張っていると思っていたんですが、彼らには僕が天狗になっていると思われていたようで……。噂なので直接言われないのが余計に辛かった。言葉で言われなくても僕には分かってしまいましたが」  僕が居ることによって店の空気が悪くなるくらいなら、辞めた方が良いと思ったんです。  そう言い終えると、須崎さんは小さく笑った。まるでその頃の自分を嘲るというか憐れむといった感じの皮肉げな微笑みだった。  俺はそんな須崎さんの一面に、ただ黙って顔を見つめるばかりだった。
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