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そう、フェリシアはハウストにずっと恋をしている。
初めて出会ったのは先代魔王の脅威のなかで戦火に身を投じた時。南の領地の危機が迫るなか、中央で戦っていたハウストが援軍として訪れたのである。
農民出身のフェリシアはハウストに目を掛けられて戦場のなかで親しくなっていった。フェリシアは身分を忘れて惹かれていき、気が付けばハウストに恋をしていたのである。
だから、久しぶりに再会して親しげに名を呼ばれた時、甲冑姿ではなくドレス姿を見違えたと褒めてくれた時、泣いてしまいそうなくらい嬉しかった。
でもハウストは再会を喜びながらもフェリシアの前に王妃を呼び寄せたのだ。
本当に酷い魔王様だと苦笑する。
フェリシアに紹介してくれる為に王妃を呼んだのではなく、王妃にフェリシアを紹介する為に呼んだのだ。
初めて目にした王妃は静謐な夜空に輝く月のように美しい麗人だった。人間の男だと聞いていたが、きっと剣など握ったことはないのだろう。身長は低いわけではないが男にしては細身で、戦場を駆け回るには軟弱だ。
その性質は静。月の淡い光を纏っているかのような麗人は、笑みのなかに微かな憂いを滲ませていた。その儚さは多くの男に守りたいと思わせるものなのかもしれない。きっと魔王も例外ではなく。
王妃を見つめるハウストの眼差しは戦場では一度も目にしたことがないものだったのだから。
「そんな諦めたようなことを言ってくれるな。君こそ妃に相応しいと多くの魔族が望んでいる」
「多くの魔族が望んだところで魔王様が望まれなければ意味がありません。私には殿方の好みなど分かりませんが、魔王様は王妃様のような御方を好まれるのでしょう」
きっとハウストはあの王妃のような麗しくも儚い方が好きなのだ、フェリシアはそう思った。
自分とはタイプが違うのだから仕方ない、そう思わなければ血に塗れた戦場の日々が本当に空しいだけのものになってしまう。自分とハウストとの思い出はそこにしかないのだから。
フェリシアは少しのやり切れなさを感じるも、選ぶのはハウストだと自身に言い聞かせた。ハウストがあの王妃を選んだのならそれが答えだ。
「君はそれでいいのか? 諦めるのはまだ早いだろう」
「剣を持って戦う女は世界に数多くございます。私だけが魔王様の戦友として親しいわけではありません。なにより、あの王妃様は勇者様と冥王様の御母上様でもあると伺っています。特別な王たちが母と呼ぶ相手に、どう立ち向かえと?」
「勇者様や冥王様が母と呼ぼうがなんだろうが、それは名称に過ぎない。君は女性だし、魔王様とともに戦えるだけの強い魔力だってある」
「それがなんだというのです。リュシアン様は何も分かっていませんね。『だからこそ』でございます。魔王様はそれを置いて、それでもブレイラ様を側に置くべく妃にしたのです。それが答えではありませんか」
フェリシアは笑みを湛えてそう言うとリュシアンに向かって深々とお辞儀する。
「私もそろそろ失礼いたします。今宵はこのような場にお招き頂きありがとうございました」
「フェリシア、すまなかった……」
「何を謝るのです。私に失恋させたことですか?」
「…………」
「……黙り込まないでください。本当に空しくなるではありませんか」
フェリシアは困った顔をしながらも朗らかに笑う。
その姿にリュシアンはますます分からない。この戦乙女こそ選ばれるべきではないのか。
「では、明日は朝から農作業がありますので」
フェリシアは笑みだけを残して広間を立ち去っていく。
リュシアンはそれを見送り、嘆くように広間の高い天井を見上げたのだった。
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