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Episode1・ゼロス誕生
ちゅちゅちゅちゅちゅちゅちゅ。
誰かが何かに吸い付くような音がします。
それは最近すっかり聞き慣れた音でした。
「お昼寝は終わりましたか?」
窓辺には赤ちゃん用の小さなベッド。
そこには澄んだ蒼い瞳の赤ちゃんがいました。寝起きの赤ちゃんは眠そうに目を細めながら、ちゅちゅちゅちゅちゅちゅちゅちゅ。親指を吸って気持ちよさそうに微睡んでいます。
名前はゼロス。三日前、青い卵から生まれたばかりの男の子です。
そう、ゼロスは冥界とともに消滅した冥界最後の冥王でした。しかし、卵になって私の元に帰ってきてくれたのです。そして生まれたのがこの赤ちゃん。
この子に以前の記憶があるのか、それとも冥王の生まれ変わりなのか、それは分かっていません。ゼロスはイスラの時とは違って本当に赤ちゃんで、生まれて三日が経過した今も「あぶあぶ」「あむあむ」「ばぶばぶ」としか話しません。出来ることといえば、泣くことと食べることと遊ぶことと眠ることだけ。ああ、時々お漏らしもしますね。
イスラは一日ごとに驚くほど急成長しましたが、ゼロスは本当の赤ちゃんのようなのです。他と違うのは冥王の卵から生まれたということだけでした。
「あなた、指を吸うの好きですよね」
指吸いは赤ちゃんによく見られる行為の一つです。
生まれた時からあまりにもちゅちゅちゅちゅっと吸っているので最初はお腹が空いているのかと思っていましたが、どうやらこれはただの癖のようなものですね。
こういうところもイスラが赤ちゃんの時には見られなかったので、なんだか新鮮な気持ちになります。
「よく眠っていましたね」
声を掛けながら小さな体を抱き上げます。
抱き上げたゼロスは「ちゅちゅちゅちゅ」と親指を吸いながらじっと私を見上げていました。
「そんなに指を吸っていると、指がふやけてしまいますよ?」
「ちゅちゅ、ちゅぽんっ」
指を抜いてあげました。
でもまた、ちゅちゅちゅちゅちゅ。
ちゅぽんっ。また抜いてあげます。
ちゅちゅちゅちゅちゅ、ちゅぽん。
ちゅちゅちゅちゅちゅ、ちゅぽん。
ちゅちゅちゅちゅちゅ、ちゅぽん。
私とゼロスのささやかな攻防戦です。
なんだか楽しくなってきて繰り返していると、ゼロスが不満そうに手足をばたばたさせました。
「あぶぶーっ」
「あ、怒ってしまいましたか? ごめんなさい、可愛かったのでつい。怒らないでくださいね?」
背中をトントン叩いてあやすとゼロスは機嫌を直してくれたのか、また親指を吸いながら私を見上げてきました。
私は目を合わせたまま笑いかけ、お昼寝の間は閉めていたカーテンを開けます。
すると明るく温かな陽射しが差し込んで空にはどこまでも続く青空が広がっていました。
「あぶー」
「ふふ、外へ出ますか? 今日のおやつは庭園で頂くのもいいですね」
ゼロスに話しかけると、常に私の側に控えている側近女官コレットがすぐに答えてくれます。
「ブレイラ様、では庭園の東屋はいかがですか? 今日は良い天気ですし、すぐに支度いたします」
「そうですね、お願いします。もうすぐイスラの剣術の稽古が終わるので、あの子にも声を掛けてあげてください」
「畏まりました」
コレットは私専属の侍女たちに東屋の支度とイスラへの伝言を速やかに命じてくれました。
私が東屋に到着した頃には完璧に準備が整っていることでしょう。
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