第一章

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第一章

 たとえ持ち主の記憶の中から私がいなくなったとしても、「忘れ物」の私が、主を忘れる日は来ないだろう。    自ら描く「絵」の出来栄えがどれも良いものだから、私はいつしかそんな自信を持つようになっていた。  手から離れない真っ黒な本の、めくれもしない真っ黒なページ、その上に絵は絵の具もなしに(えが)かれて、鮮やかに浮き上がり、動き出す。ひとしきり動き回って消えてしまうのが欠点だが、問題ない。ページを()る手立てのない私にとっては、好都合とさえ言える。    それに同じ絵は何度だって描けるのだ、こんなふうに――半ば自分自身を試すように、再び黒いページに目を落とす。板の外れた窓や寒風に震える古いドア、そろそろ長い休暇に飽きて仕事を求めているだろう炉の排煙口、あらゆる隙間から流れ込んだ夜が小さな家を満たしていても、妨げにはならない。こういうとき、闇と――何と言えば良いのか少し悩んだが、わざわざ否定する者もないから、密かに憧れていた言葉を選んだ――友達。そう、友達で良かったと思う。    思考の流れが色を運んでくる。私は見えざる筆にそれを取り、黒いページの真中を切り抜くように、白い長方形を描いた。そしてそれを持つ華奢(きゃしゃ)な両手も。    私が光の裏側以外に居場所を得て、一人で存在できるようになったきっかけ。それを懐かしむ間に、絵は動き始めた。輪郭に(いく)らか幼さの残る手の、雪を払うのにも似た仕草と共に、長方形の(まと)う白がはらりと落ちる。    その一瞬。私は、千紫万紅の夏の庭に立っていた。    この不思議な感覚を、私はかつて、イエラと一緒に(・・・)味わった。ガラナス教会付属病院、診療棟の待合室で。
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