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過去を吹っ切れない男の話
[人生をかけてタイムマシンを開発した男。それは過去に戻り、ある忘れものを取りに行くためだった。]
タイムマシンの研究に没頭し始めた頃、男の周りの人達は、男の目的を噂し合った。そしてそれはたいした議論になることなく、一つの結論に集約されたものである。
『男は、婚約者が十四年前、誰に殺されたのかを知るために、タイムマシンの開発に取り組むことにしたに違いない』
寝食を忘れるほどタイムマシンの完成に入れ込む男に、あるときお節介な輩が尋ねた。
「秀才と呼ばれ、現実的な判断を第一にしていた君が、タイムマシンなんて夢のような物に心血を注ぐのは、やはりあれかい? 皆が噂している通り、桜子さんの亡くなったあのとき――一九九六年九月十五日の夜のあの公園に行き、その、すべてを目撃するためかい?」
「……」
男は明確な返事はしなかった。
「昔だったらとうに時効が成立している時間が経った上に、現場の公園は再開発で埋め立てられた。真相が突き止められる可能性は低いとみて、タイムマシンに頼ろうという発想には恐れ入ったよ」
気易い調子で話し掛けても、男は反応を示さない。
お節介焼きは真顔に戻り、「認めないということは、もしかして、犯人を見たら、その場で殺してしまおうと考えているのか」と心配した。が、これにも返事はなかった。
帰るそぶりをしながら、お節介焼きは言った。心からの言葉を口にする。
「タイムマシンで過去に遡れたのなら、桜子さんを救うだけでいいんじゃないか。君が犯罪に手を染めなくても……」
「……心配してくれて、ありがとう」
男はそう答えるだけだった。
そして年月が流れ、二〇※※年。ついに、男はタイムマシンの完成にこぎ着ける。テストとして二日前に行き、無事、現在に戻って来ることに成功した。
大発明だったが、男はこれを世間には公表せず、極親しい知人にさえ完成の事実を伝えなかった。男は憑き物が落ちたような表情を作り、「タイムマシンの開発はあきらめたよ」と周りの者達にふれて回った。これから男がなそうとすることを隠し、秘密を守るために必要な準備だった。
男は密かにタイムマシンを始動した。万感の思いと表現していいのか、執念を実らせた男はキーを回す。
(長かった。あとは当時の現場に行き、なるべきことをなす。
殺害現場に私が落とした重要な証拠を、確実に回収する。
そうすれば、私はやっと安眠できる。
あのとき、家に戻ってからサマーコートのボタンが取れていることに気が付いた。桜子が付けてくれた物で、くるみボタンだから布の部分に私の痕跡がまだ残っている可能性がある。現場を調べた捜査官が見落とす可能性は低いだろうから、恐らく採集しているはず。当時の技術では証拠として役立たなかったのか、捜査の手が私に伸びることはなかった。
このまま静かに時効を迎えるはずだったのが、何ということか、二〇一〇年の四月になって、殺人の時効が撤廃された。それ以前の法改正では、十五年から二十五年に延びたことがあったが、その折は時間を遡って適用されることはないとされた。当然、二〇一〇年四月の法改正でも同じルールになると思っていたのに、当てが外れた。あと少しで十五年の時効が成立していたというのに!
しかもDNA鑑定の技術は年々めざましい進歩を見せ、未解決事件を洗い直す部署も起ち上げられる。安穏としてられなくなった“殺人犯”としては、タイムマシンを作るしかないじゃないか)
――男は知らなかった。もっとテストを繰り返すべきだった。
男が作り上げたタイムマシンは、時間旅行をした分だけ、一気に肉体が老化するという“副効果”を有していたのである。
タイムマシンに乗ったまま寿命が尽きた男は、ある意味、安らかな眠りに就いたと言えるのかもしれない。
終わり
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