お姉さんのわすれもの

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お姉さんのわすれもの

 一  小学生になった時、おばあさんのおばけの手伝いをしてから、こんなに頼まれるようになったのだ。おばけが『結人君』と言い寄ってくる時はそういうものだと、去年分かった。  近所の寺の若いお坊さん曰く、悪いおばけには寄られてないらしいから大丈夫だそうだ。  悪いおばけじゃないのはいいけど、お願いばっかりなんて、勘弁してほしいなぁ。そう思いながらため息をつくと、お姉さんが笑って言った。 「ここよ」 着いたのは、商店街を抜けた先にある緑色の橋の交差点だった。 「なんだぁ、『かえる橋』じゃん」 「あら、そんな名前なの?」 「元々事故が多いのと、死んだ人が出たからって名前がついたんだよ。緑色だからってのと、無事に帰るようにって……もしかして、お姉さん……」 俺がじろりとお姉さんの顔を見ると、困ったような顔をして頷いた。 「ちょっと、ね……えへへ」 「えへへじゃないよもう……それで、ここに何があるの?」 「うん。この橋の下に、手紙を落としたのよねぇ……死ぬ前に、落ちてた空き缶に入れて軽く埋めたんだけどね……」 「それ、いつの話?」 嫌な予感がして俺が低く聞くと、お姉さんは笑って答えた。 「十年前よ」 「そんなの見つかんねぇよ……変わってるかも知れねぇし」 「大丈夫よ。珍しい青い花の種を入れてたから……ほら」 お姉さんは橋から川原を指差した。そこには青色のヒヤシンスがたくさん咲いていた。 「あの辺りよ」 「けっこうあるけど……」 「その中でも、一番橋の柱に近い所よ」 「仕方ねぇなぁ」 俺が川原におりると、柱の近くの青い花の下を手で掘り起こした。すると上の蓋が空いた大きな黄桃の缶詰が出てきた。 「これ?」 「そう、それよ」 中をほじって大きな球根や土を取り出すと、手紙が出てきた。封筒はぐちゃぐちゃで、宛名は見えなかった。 「これじゃあ、誰宛なのかわからねぇじゃん」 「そうねぇ……仕方ないから、土を落として中を見ていいわよ」 「わかった」 俺が封筒を開けようとすると、お姉さんは恥ずかしそうに慌てて言った。 「わわっ、いっ、今じゃなくて……」 「え?」 「手紙は、終わってから結人君が読んでね」 「……おう。って、もう終わったんじゃ……」 「もう一つ、やり残したことがあるのよ……だから、おてて洗ってから案内するわ」 「まだあんのかよ」 俺はため息をついた。お姉さんは両手を合わせた。 「ごめんね、結人君」 俺はちらりと商店街にある大きな時計を見た。まだ時間があると思った俺は、低く応えた。 「しょうがねぇな」 球根を埋めようとすると、お姉さんはそっと止めた。 「それ、結人君にあげるわ。お礼よ」 「……わかった」 どうしたら良いかよく分からなかった俺は、花のついた球根を土に埋め、空き缶に入っていた球根をリュックのチャックのついた小さなポケットの中にしまった。 「それでいいの?」 「持ち帰りにくいから」 「そっか」 お姉さんは両手を組んで祈った。俺はそっと聞いた。 「何、それ」 「ちゃんとお花が咲くようにっておまじないよ」 「へぇ」 花ならここでも見られるのにと思いながら、俺はゆっくり立ち上がった。  近くの公園で手を洗うと、今度は大きな屋敷の門の前に着いた。いかにもお金持ちが住んでいそうだと思った俺は、少し怯みながら聞いた。 「本当に……ここで、あってる?」 「えぇ。ちょっと身体を借りるわね」 「うん」 俺は気を失った。  二  気がつくと、公園にいた。俺から離れたお姉さんは、大きな声で笑っていた。 「アハハッ、おっかしぃ……」 「え、何が?」 「携帯、見てみて」 お姉さんに言われ、何故か強く握っていた携帯電話を見た。その画面には、濡れた花壇に尻餅をつく背広を着た若い男の人があった。その顔には、泥のような茶色い物がかかり、口にもついていた。 「……何をしたの?」 「門を開けてもらって、私の名前を伝えても、この男が無視しやがったのよ。だから『呪ってやるから、さっさとくたばれくそ野郎』って、道路に落ちてた犬のふんを、この男の顔に投げつけてやったのよ。そしたら、驚いてこのざまよ」 「へっ、へぇ……」 怖いお姉さんだなと思いながら、俺はぎょっとした。 「犬の、ふん?」 「そう……あっ、ちゃんと手を洗ってね」 「ゲェェッ」 直に持ったのだと分かった俺は、公園のトイレに走った。  石鹸で何度も丁寧に洗い、水で濡らしたタオルで、携帯電話と鞄もしっかり拭いた。  それでトイレから出て、近くのベンチに座ると、お姉さんは隣に座った。 「ごめんねぇ、許して」 俺は口を尖らせて聞いた。 「……この男の人は、お姉さんに何をしたの?」 「私に惚れて、お付き合いしたの」 お姉さんは笑って答えた。俺は驚いて吐き捨てた。 「恋人かよ」 「フフッ、恋人なんてよく知ってるねぇ」 「十歳だぞ。それくらい知ってるよ」 「そっかぁ、お兄ちゃんだねぇ」 お姉さんはどこか悲しそうに笑った。けどすぐに明るく笑って答えた。 「私とその人は、結婚しようって色々準備をしてたの。式をやる日を決めてた時ね、その人の母親が、お金持ちの女の人を嫁にしろって言い出したの。この男はあっさりそれに同意して、お腹に赤ちゃんがいる私を置いて、逃げたのよ」 「うわぁ」 こんな酷いことをする人がいるのは、ドラマだけじゃないんだなと思っていると、お姉さんは続けた。 「私は、お母さんと男の人に会いに行ってやったわ。顔をあわせた時は、結婚に賛成してたでしょって。そしたら『気が変わった』だの『品格のないお宅では、無理があります』だのって……そこで殴るの我慢してやってたんだから、これくらいはされて当然よ……軽すぎたかしら?」 お姉さんは笑った。俺はそっと答えた。 「……男の人のお母さんにも、ふんを投げつけてやればよかったかもね」 「そうだったぁ」 お姉さんは頭を抱えて残念そうにした。そしてこちらを見て笑った。 「でもいいや、ありがとね」 お姉さんは立ち上がった。俺も立ち上がって聞いた。 「手紙は?」 「中に宛名は書いてあるわ。忘れないでね」 「わかったよ」 「本当にありがとね、結人君」 「うん」 俺が返事をすると、お姉さんは姿を消した。
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