第二十七話『報告と苗字』

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「あ、の。今日はそれだけ聞きたかったんで、もう帰ります」  嶺歌(れか)はそう言うと兜悟朗(とうごろう)に会釈をしてその場を立ち去ろうとする。しかしそこで「嶺歌さん」と呼び止められた。そしてその瞬間に嶺歌は激しく動悸が高まっていた。 「どうかご自宅までお送りさせて下さい。この様な時間帯に貴女を一人でお帰しする事は望んでおりません」 「ありがとうございます」  兜悟朗のその言葉に嶺歌は嬉しさを噛み締めていた。  喜びを表にこそ出せなかったが、心の中ではとてつもなく気持ちが高揚していて、当然のように嶺歌を家まで送ると口にしてくれる兜悟朗の事を改めて好きだと感じた。今日は何度も兜悟朗への想いを再認識している気がする。  そのまま兜悟朗に促されて嶺歌は彼と肩を並べて歩き出す。  隣に大好きな人がいるという事がまた新鮮で、こうして一緒に歩く事は初めてではないのにとても貴重な事に感じられた。  兜悟朗は相変わらずこちらが返しやすい話題を物腰柔らかく発してくれており、そんな綺麗な気遣いがまた嶺歌の思いを加速させている。 (兜悟朗さん、どこまで紳士なんだろう)  そんな事を思いながら穏やかに話し掛けてくれる兜悟朗に視線を合わせていると、送迎の時間はあっという間に過ぎていった。自宅があるマンションに到着した時にはあまりの時間の速さに驚いたくらいだ。 「送って下さってありがとうございます。あれなにも有難うと伝えてもらえますか」  エントランス前の扉付近で嶺歌が立ち止まりそう言うと、兜悟朗は口元を緩めながら「勿論で御座います」と声を返す。 「それではこれで失礼致します。ごゆっくりお休み下さい」  そして再び口を開くと彼はそう言葉にしてから丁寧なお辞儀を見せ、綺麗な姿勢のままマンションを後にした。  彼の背中が見えなくなるまで延々と目を離せずにいた嶺歌は、兜悟朗の逞しくも格好いい後ろ姿に見惚れてしまうのであった。 第二十七話『報告と苗字』終               next→第二十八話
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