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兜悟朗にとっての嶺歌が特別な存在である事だけは確かだろう。
あの日、嶺歌が海で溺れかけてしまった悲劇の日、兜悟朗の態度全てでそれを理解していた。
彼はいつでも冷静で常に物事を客観的に捉え、淡々と行動を為す執事だ。いや、だったのだ。彼があのように感情を表に出す事は本当にこれまで一度もなかった。
形南が竜脳寺に裏切られた日も、確かに顔に憤りが見えてはいたものの、包み隠さず剥き出しにした事はなかったのだ。
それがあの日だけは、兜悟朗も感情を隠す事は一切なく、いつも穏やかさを保つ紳士的な執事ではなくなっていた。
それはあまりにも兜悟朗が嶺歌を大事に思っているからなのだと――形南はそう確信めいた推測をしている。
「お気遣い下さり有難う御座います。休暇を取らせて頂きご配慮痛み入ります」
兜悟朗はそう言っていつものように柔らかく微笑みかけてきた。形南は兜悟朗の方に視線を向けてその言葉に声を返す。
「元々貴方には休暇が足りなすぎるのですの。私以外にももっと目をお向けなさいな」
そうは言っても形南にはもう分かっていた。兜悟朗がもう自分以外に目を向けているというその事実に。そしてそれを、兜悟朗本人も自覚しているという事に。
その事を形南は少し寂しいと思いながらも、心の底から嬉しいと、本気でそう感じている。
「お心遣い感謝致します」
兜悟朗はそう言って再び柔らかな笑みをバックミラー越しに向けるとそのまま運転を続けた。
形南もそれ以上は何も言わず、彼の運転に体を委ねながら平尾のいる秋田湖高等学校へと向かうのであった。
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