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兜悟朗との話が終わり、二人は喫茶店を後にする。宣言通りに嶺歌の分まで会計を持ってくれる兜悟朗に嶺歌は深く頭を下げて感謝の言葉を口にした。
兜悟朗は「私がお誘いした立場ですから当然の事で御座います。どうか、お気になさらず」と律儀な回答をしてくる。嶺歌はそんな彼の言動に温かな気持ちを抱きながら自宅に到着した。彼は最後まで丁重に嶺歌をマンションの前まで送ってくれていた。
喫茶店からは一分とかからない距離であるためあのまま喫茶店で解散をしても良かったというのに、本当に律儀な方だ。そう思い、マンションの入口前で彼に身体を向けると改めてお礼の言葉を口に出す。
そうしてそのまま扉に入るため身体を反転させたようとした所で「先日、お嬢様が恋仲にと仰られていた件に関してですが」と背後から彼の声が降りかかってきた。嶺歌はその事を話題にされるとは思わず、咄嗟に振り返る。兜悟朗は嶺歌から少し離れた場所で言葉を放っていた。
「どうかお気になさらず願います。お嬢様は和泉様と私を慮ったばかりにあのような話を口にされましたがあのお方に他意は御座いません。ですが和泉様には当然ながらお選びになる権利が御座います。ですからそちらの件に関してはご自分の意思を大事になさっていただければと思います」
兜悟朗は形南の事を尊重した上で、彼女の言った事は気にせず嶺歌は嶺歌の好きな恋愛をしてほしいとそう言葉にしている。彼のその予想外の気遣いの言葉に嶺歌は気持ちが軽くなる思いを感じた。そしてその兜悟朗の心遣いが嬉しいと、無意識にそう思った。
「お気遣いありがとうございます。大丈夫です。あれなも強要してるわけじゃないって事は分かってますので」
そう言って苦笑いを溢す。兜悟朗とはあの形南の言葉以来、顔を合わせる事を多少なり躊躇っていたのは事実だ。しかし形南も兜悟朗も誰にも非はない。それはよく理解していた。
嶺歌は「だから執事さんも気にしないで下さい」と言葉を付け加えると彼は優しげに口角を上げて微笑み、お辞儀をしてきた。
「思慮深い御心、感謝申し上げます」
兜悟朗はそう言うともう一度だけ丁寧に一礼をしてからマンションを後にする。今の今まで気づかなかったが、彼はいつものリムジンではなく徒歩でここまできたようだった。形南の家までどのくらいの距離なのかは分からないが彼が車を利用しなかった事に不思議な思いが生まれた。
嶺歌はそのまま立ち去っていく彼の姿が見えなくなるまで目で追っていると数秒と経たない内に兜悟朗の姿は見えなくなっていった。
第七話『忠実な執事』終
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