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「いやいやっ! あたしの方こそすみません! あの場ではどうしようもなかったし、謝る必要は全然ないです!」
兜悟朗はすぐには顔を上げなかったが、嶺歌の再三の言葉でようやく姿勢を元に戻すと最後にもう一度丁寧なお辞儀をしてからその場を立ち去っていった。恐らくこの後形南に報告をしにいくのだろう。
嶺歌は彼が離脱してから自分もようやく教室へと戻る。それにしても濃厚な休み時間であった。告白されたところを兜悟朗に見られたところまではまだいい。
だがその後、彼に引き寄せられた自身の顔、身体全てが嶺歌の動悸を速める要因になっていたのは言うまでもあるまい。
恋仲でもない異性とあのように近い距離でいる事はそうそうない事だろう。しかし複雑な思いはあるものの、嶺歌の中で何度も感じていた事があった。
(最後まで紳士的だったな)
兜悟朗から一切の下心を感じなかったのは事実だ。流石にあのように近い距離で暫くの時間を過ごしてしまえば、嶺歌のように意識はしてしまうものだろう。
だが彼からは下心どころか、そのような意識をした様子も全く感じられなかったのだ。あの時の兜悟朗はただただ平尾の告白現場にだけ注意を向けていた。
そして同時にさりげない嶺歌への配慮も感じられていた。言葉にされずともそう感じる事が出来るほどに彼は誠実であったのだ。
彼のそんな姿勢を思い出し、嶺歌は改めて兜悟朗という有能な執事の篤実さを認識していた。
(それにしても……)
嶺歌は自然と形南の顔を頭に浮かべる。そして今日自身が目にした出来事を思い返す。
「あれな、良かったね」
小さく呟いた。これは紛れもない自分の本心である。形南の意中の相手である平尾は告白を断っていた為、恋人という存在は出来ていない。
ゆえに今後の形南と彼の関係に影響はないだろう。もう少しすれば兜悟朗からの報告を聞いて安堵するに違いない。
そう考え嶺歌はまるで自分の事のように形南にとっての嬉しさを噛み締めるのであった。
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