第十二話『過去の存在』

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嶺歌(れか)、先程は巻き込んでしまってごめんなさいね。一年も前の事ですの。だから気に病まないで欲しいのだけれどアレは(わたくし)との婚約中に、先程の女性と肉体関係をお持ちになられたのですの」 「ええ……」  時間も時間であった事から嶺歌は形南(あれな)兜悟朗(とうごろう)にリムジンに乗せられ、自宅まで送迎されている時の事だった。何の突拍子もなく、何も聞いていないのに唐突に横に座る形南が理由を話してくれた事にまず驚く。  そしてあまりの内容のエグさに嶺歌は顔を顰めた。一体何が間違えばそのような状況が起こってしまうのだろうか。今の時代は婚約中に他の相手と関係を持つ事を容認されるような世の中ではない。  嶺歌はあまりにも残酷な内容に絶句していると、形南は特に表情を変えずに話を続ける。  形南が先程の男と婚約していたのは形南が中等部に入った日――五年前の事だそうだ。  男の名は竜脳寺(りゅうのうじ)外理(がいすけ)高円寺院(こうえんじのいん)家ほど名の知れた財閥ではないが、財閥界の間では有名な家系であるようだ。両家の両親が共に好印象を持っていた事から二人の婚約が決められたらしい。  形南と竜脳寺の仲は良くも悪くもなかったが、しかし特に大きな問題もなく婚約関係は順調に進んでいた。二人が大学を卒業した際に結婚させる予定であったようだ。  形南は婚約自体に抵抗はなかったようで彼と過ごす日々も悪くはなかったのだという。 「決して仲が悪かったわけではありませんの。胸を躍らせる瞬間もありましたわ」  竜脳寺に対しての恋愛感情があった事はないと言うが、それでも形南は未来の伴侶として彼との結婚を常に意識していた。婚約者の存在を意識していた事から婚約破棄をする瞬間まで誰かに目移りする事も一度もなかったという。 「アレを一生殿方として好きになる事はないと分かっていましたの。けれどアレへの不満もあの時までありませんでした。初恋は(わたくし)には無縁なのだと覚悟もしていましたわ」  竜脳寺に対する愛情はなかったものの、婚約者として敬意は持っていたようだ。彼は学園での成績も常に優秀でどの分野でも常にトップに君臨していたからだ。  彼のそんな姿勢を形南は心から尊敬し、努力を惜しまない彼であれば未来の伴侶としても安心であるとそう信じて疑わなかったらしい。性格もあのような刺々しい態度ではなかったと言う。だが、そんな彼への絶大な信頼は、ある日の出来事で一瞬にして覆る。
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