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出来れば口にはしたくなかった。悲しい過去の記憶など、言葉にするだけ時間の無駄だとそう思っているからだ。
同情は勿論のこと、慰めの言葉すら形南にとっては不要なものだった。
外理の事は婚約者として信頼しており、一人の人間として好いていた。
それが恋ではなかっただけで、そうであったとしても二人で将来籍を入れ、子を作り、幸せな家庭を築きあげ幸福な日常を送る事に何の疑問も抱かなかった。
恋でなくとも、いずれは恋に変わるかもしれない。そもそも尊敬に値する人物で彼と過ごす時間は嫌いではなかったのだ。
ただ自己主張が高い節があるというだけで目を瞑れば気にならないところだった。ゆえに婚約を解消する理由は形南の中では存在しなかった。
彼の綺麗に整備された高級な部屋で、服が散らかされ、ベッドの上で身体を寄せ合う二人の男女を目にした時は、吐き気が催したのを今でもよく覚えている。
目にした瞬間頭に浮かんだのは、ショックでも悲しみでもなく「すぐに婚約破棄しよう」という気持ちだけだった。
その後川を流れる水のように彼への嫌悪感、裏切られた喪失感、憤りが次第に生まれ、最終的に彼の事を人間だと思えなくなっていた。
名前を呼ぶ価値すらない。簡単に人を裏切れる残酷で残忍で自分勝手なモノ。そこに感情が宿っただけの人間ではないソレ。形南の世界に外理という人物は粉のように消えていた。
未練などない。取り返したいとも思わない。ただもう、本当に会いたくなかったのだ。
だというのに、彼は家が近いせいで顔を合わせることが少なからずあった。
それだけが本当に苦痛で仕方がなかったのだ。
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