〜prologue〜

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「マスギ、さん……」 聞かされた名前を反芻しながら、どんな字を当てるのだろうと、寝起きの頭でぼんやりと考えていると、まるで私の心を読んだかのように、彼は補足してくれる。 「馬という字に木材の杉で、馬杉と書きます。珍しい名前ですよね」 「……」 「でもまあ、馬刺しが好きで、スギ花粉症の私には、ある意味ピッタリの苗字なのかもしれません」 それが、私が無意識のうちに滲み出ていた警戒心や緊張感を緩和するための、ジョークのつもりで口にした言葉だというのは、彼の穏やかな表情からすぐに読み取れた。 「良かった。笑うくらいの元気はあるようで、安心しました」 そう指摘されて、私は自然と緩みかけていた自分の頬を引き締め直す。 ふわふわと覚束ない感覚の中で、この人の言葉だけが私の心に優しく刻まれていく、そんな感じがした。 するとその時、部屋を歩き回っていたもう一つの足音が、私の足先へと移動する。 どうやら、その先には部屋の扉があるようだ。 「では、カンファレンスの準備をしてきます」 「了解しました。時間になりましたら僕も向かいます」 さっきよりは体が動かせるようになってきたので、少しだけ頭の重心を枕に深く沈めて視線の位置を変えてみる。 馬杉先生と話していた女性の声の主は、長くて艶やかな黒い髪を後ろで一纏めにしている、小柄でやや年配の看護師さんだった。 目が合うと、ニコリと穏やかに会釈をしてくれ、静かに部屋を出ていく。
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