〜prologue〜

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それから毎日決まった時間に、馬杉先生が回診に来てくれた。 複数の医師や看護師を伴ってくることもあれば、一人でやってくることもあるが、先生はいつだって私に優しく丁寧に語りかけてくれる。 医者と患者という関係を、忘れてしまいそうになるくらいに。 「今日はとても暖かくて風が心地よいので、窓を少し開けておきますね」 「はい……。ありがとうございます」 天気のいい日は、病室へ来ると最初に、白いカーテンのかかった窓を開けてくれる。 入院している間、まだろくに外出できていない私にとっては、それが外の空気に触れられる唯一の手段だった。 春の日差しは眩しく、影をはっきりと映し出すほどに部屋を明るく照らしてくれ、頬を愛でるように入り込んでくる柔らかな風は、澱んだ空気を一掃する。 それだけで、霞がかっている心でさえも綺麗に浄化されるような気がした。 「……バイタルに異常はないですね。傷口もかなり塞がってきましたので、経過は良好です」 今日は馬杉先生がバイタルチェックを行ってくれた。 経過は良好だと言われたように、目を覚ました時とは比べ物にならないくらい、体の痛みは和らいできている。 「この分ですと、近いうちに脳の精密検査に移ることになると思います」 「……わかりました」 素直に応じはしたけれど、事故前後の記憶は未だに濃い霧の中にあるように混濁していて、回復の兆しを見せることはない。 事故の真相を知る手掛かりを掴むためにも、私の治療が必要なことは分かっている。 しかし、私には全てを思い出せる自信がなかった。
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