〜prologue〜

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例えば、この目に映っている満開の桜が綺麗だと思うように、日常のありふれた風景を共に分かり合えるような相手がいれば、弱気な私の背中を押してくれたのかもしれない。 でも、私には恋人と呼べるような存在はいないし、最も身近な肉親である両親はすでに他界している。 唯一無二の親友はいるけれど、入院してからは連絡を取れておらず、私が事故に遭ったことすら知らされていない可能性が高い。 しかし、私が事故に遭ったことを知り、私の体に残った傷跡を見て、悲しむ彼女を容易に想像できてしまうから、暫くの間は何も知らせずにいるつもりだ。 今の、誰も頼れる人がいない孤独な自分を悲観的に思うことはないが、少しだけ虚しさを感じてしまう。 窓の外で、風に煽られて人知れず散りゆく桜の花びらのように。 「……綺麗ですね」 「え?」 「ちょうど、今日が一番の見頃だと思いますよ」 感傷的になっていた私の耳に、温かな春風にも似た柔らかな声が届く。 その横顔は、私と同じ一本の満開の桜を見つめていて、花びらを煽っていた風が窓から入り込むと、春の香りが鼻腔を擽ったのか、ほんの一瞬だけ表情が微かに歪んだように見えた。 「……先生、花粉症は平気なんですか?」 「ええ、アレルギー用の薬を服用していますので、今のところは何とか抑えられていますよ。 病院が職場だと、薬一つ処方してもらうためだけに、わざわざ耳鼻科へ行く手間が省けて助かります」
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