味見をどうぞ

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「課長!すみません!」 出社してすぐ、前回企画書を持ってきた社員が大石の所にやってきた。 「どうした?そんなに慌てて」 大石は不思議そうな顔で荷物を片付けながらデスクに座り、パソコンの電源を入れる。 「実は担当者が佐々木先生の所に、仕事の依頼に伺ったのですが…」 その社員はバツが悪そうに話し出した。 「涼子さーん!」 「翔真!久しぶり!」 企画書が通ったその日の内に、翔真はアポイントを取り涼子の元を訪れていた。 「のりちゃんから聞いたわよー!和也の手伝いしてくれてるんだって?ありがとう」 「うんん、俺から言い出したんだよ」 「あら、そうなの?」 「うん、仕事の役に立つかなぁって思ってさ」 「えらい!」と言いながら涼子は翔真の頭をぐしゃぐしゃと撫でた。翔真とは幼少期からの付き合いだから半ば息子のようなものだ。 翔真も満更でもない様子でされるがままに頭を撫でられている。 「…で、今日は何だった?」 「あ、そうそう、これなんだけど…」 撫でる手を止め、涼子は改めて正面から翔真の顔を見ると、翔真は手にした鞄からゴソゴソと資料を取り出した。手渡すと、涼子は資料に目を走らせる。 「電子レンジ圧力鍋を今度うちの会社から出す事になったんだ。そこで、涼子さんにレシピ提供と商品発表会でのデモンストレーションをお願いしたくて…」 「へぇ…」 資料を見る彼女は先程と違い仕事をするプロの顔をしており、翔真に軽い緊張が走った。 暫しの沈黙の後、厳しい顔になった涼子が口を開く。 「これ、ちゃんと考えて私の所持ってきた?」 「…え?」 予想外の一言に、翔真は固まった。 涼子なら2つ返事でOKしてくれるだろうと勝手に思っていたのだ。 「それは、どういう…?」 意図が分からず涼子に質問すると、涼子は小さく溜め息をついた。少し不機嫌なようにも見える。 「身内だから頼みやすいって理由で私の所に持ってきてないかってこと」 ギクリ 翔真の肩が微かに揺れた。 涼子に言われた事は、確かに当たっていた。料理研究家を起用してPRする案が出た時、このツテを使おうと思い上司に涼子の名前を進言したのは確かだ。しかし、それだけではなかった。 「…確かに、それもちょっとあるけど。涼子さんのネームバリューが欲しかったんだ」 翔真は素直に語った。 「涼子さんの名前を出せば、まず間違いなく注目して貰える」 「ありがとう」 「評価してくれて嬉しいわ」と涼子は微かに笑った。 「なら…」 「ねぇ翔真。私の料理教室、どんな生徒さん達が来るか知ってる?」 「え…」 またもや意外な質問に、翔真は固まる。 その様子に、涼子が苦笑いした。 「主に30代以上の主婦の人達や、美容や健康に興味があって、割と料理好きな人」 「う、うん…?」 まだ、言いたい事が伝わっていなさそうだ。 「じゃぁ質問を変えようか。この商品、どんな人達にニーズがあると思う?」 「それは…」社内でのミーティングを思い出す。 「若い人とか、料理のビギナーさん……あ!」 「気付いたみたいね」と涼子が微笑んだ。 「手軽さや価格もそうだし、鍋自体小さめだから、家庭というよりは単身者や二人暮らしくらいが丁度良い。それに、料理好きならガス火を使う本格的な圧力鍋で調理をすると思うわ」 「つまり」と涼子は続けた。 「私を支持してくれてる人達がターゲットじゃないのよ。もっと若い子がPRした方が説得力があると思う」 「なるほど…!」 翔真は合点がいった、というふうに頷いた。 しかし直ぐに冴えない顔付きになる。 「でも、ウチの上司も涼子さんに協力して貰えるなら心強いって凄く乗り気だったから…どうしよう…」 「そうねぇ…」 涼子は思案顔になったが、直ぐにパッと顔を上げた。 「なら、私の推薦って事にして、和也にお願いしたらどうかしら?」 「えぇぇ!?」 翔真は思わず大声を出してしまった。確かにターゲットとする年代層や商品イメージにはドンピシャだし、涼子の息子と言えばそれなりの知名度はある。しかし… 「レシピ提供は大丈夫だろうけど…デモンストレーションとか、和兄苦手じゃない?」 そう、適性の問題なのだ。 和也は涼子と違い、性格は物静かで話す事が得意ではない。つまり、イベント向きではないのだ。 長年の付き合いである翔真も、それは充分承知していた。それを知っていて、涼子は言っている。挑むような彼女の視線に、翔真は一瞬たじろんだ。 「翔真にとっても、和也にとってもこれは成長の機会になる。翔真は和也を説得しなくちゃいけないし、和也はイベントなんかに出て大人数の前で話さなきゃいけない…お互い大変だろうけど、いい機会じゃないかしら」 グルグルと、様々な思いが翔真の頭の中を巡った。上司に何て伝えたらいいだろう、和也の事は知っているだろうか… 涼子はじっと無言で返事を待っている。 長い長い沈黙の後、翔真はようやく口を開いた。 「…分かった。説得してみる」 「よく言った!」 覚悟を決めた翔真の一言に、涼子は満足そうに微笑んだ。 「商品のニーズがある層と、自分を支持してくれる層が合わないから、自分より息子さんにPRをしてもらった方が説得力があるんじゃないかと仰っていて」 「うーん…確かに。で、その息子さんはどんな人なの?」 「はい、元々先生のアシスタントをしていましたが、今は独立して料理教室をしている、佐々木和也先生です」 「…え!」 「何か?」 「いや…」 あの時の引っ掛かりはこれだったのか。関係があるどころじゃない、親子関係だったなんて。 大石は頭を抱えた。涼子の言い分は筋が通っており、何より商品の事を考えて提言してくれている。涼子の知名度に頼って承認した自分が恥ずかしい。 「うーん…分かった。佐々木先生に掛け合ってくれた社員()は誰?」 「佐藤ですが…今日午前中は外勤で席を外していて、午後には戻りますが」 「そうか…午後は私が会議でね。明日は?」 「明日は朝から居ます」 「そう。なら、明日朝イチに私の所に来るように伝えてくれるかな。それと、涼子先生にアポイント取っといて」 「分かりました」 やれやれ、と大石は長い溜め息をついた。 大変な事になってしまった。 母親なら、息子が話すことが得意ではない事ぐらい知ってる筈だ。キッパリ断り他の若手料理研究家に振ればいいものを、敢えて自分の息子に振るなんて。 (何を考えているんだろう…) 子どもの居ない大石には、到底考えのつかない事だった。 とりあえず掛け合ってくれた佐藤という社員と一緒に一度涼子に会い、話を聞かねばなるまい。 本来なら佐藤直属の上司を共に行かせる所だが、和也が絡んでくるのなら面識ある自分が行った方がいいだろう。何より、和也の過去と母親へのしがらみを知っている大石は和也の事が心配だった。 (先生に負担がかかる事はなるべく避けたい所ではあるが…) 仕事で、しかもこんな形で和也と関わりたく無かったのが本心だ。 (先生…) くしくも今日はレッスンの日。 いつもは楽しみで仕方ないのだが、今日は気分が重たかった。
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