味見をどうぞ

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「ありがとうございました~」 生徒達を見送り、最後に大石が残った。 清掃は翔真にお願いし、一番メインキッチンに近いテーブルに並んで腰掛けると、和也は今日のレッスンの冒頭で話した内容を大石に伝え始めた。 「桜エビのパスタですが、乾物なので保存がきき、ストックしておけば思い立った時に有り合わせの野菜で作る事ができます。今日は榎とネギを使いましたが、割と何にでも合います。例えば…」 聞きながら気になった所をメモしていく。 ふと、落とした視線が和也の手元に向いた。 「…メモ?」 「あ…!」 大石の呟きに反応して、和也は反射的に自分の手元にあったメモを隠した。不思議そうな大石を見て、困ったように笑う。 「話す事を、だいたい書いておかないと上手く話せないんです」 「簡単な会話なら大丈夫なんですけど」と言う和也の手元にあるメモには、文字がびっしりと書かれていた。 毎回こんなにも準備してレッスンに臨んでいたのか…大石は和也を尊敬の眼差しで見つめた。 「僕の事はいいですから…続きいきますよ」 「あっ、すみません。お願いします」 そんな二人のやり取りを、掃除しながらチラチラと翔真が見ていた。 (何か…何だあの雰囲気は…?) 二人を見ているとただの先生と生徒という関係ではない気がしてくる。かといって、父親と息子とも違う。友達でもない。 (でも、あの和兄が…?しかも男で生徒で歳上…?!) まさか、と出しかけた答えを翔真は自ら否定した。しかし、今の雰囲気にはそれが一番しっくりくる。 ごちゃごちゃと考えていると、補講が終わったようで和也と大石は席を立った。 「遅くまでありがとうございました」 大石が頭を下げると、和也は手を振った。 「いえいえ!こちらこそありがとうございました。またお待ちしています」 「それでは」 「はい、お気を付けて」 会話こそ単調だったが、和也は何処か名残惜しそうだった。大石が出ていってからも、和也は暫くドアの方を見詰めている。 「…和兄?」 翔真が恐る恐る声をかけると、和也はようやくゆっくりと振り向いた。 「…何?」 その切なそうな表情を見て、翔真は確信した。 (和兄、大石さんの事が好きなんだ…) しかし、あの様子では恐らく本人は自分の気持ちに気付いていないだろう。大石の方はどう思っているか分からなかったが、和也と同じ気持ちのような気がした。 好きな()ができたら協力するとは言ったものの、これは翔真もお手上げ状態だった。「何でもない。もうすぐ掃除終わるよ」と誤魔化す。 「ありがとう」 ようやくいつもの調子に戻り、和也もメインキッチンに残っているものを片づけ始めた。 どうか、どうか和兄の恋が上手くいきますように 翔真は祈るような気持ちで和也を見つめた。 ________________________________________________ 翌朝。 「おはよう」 「おはよう、朝から珍しいな」 大石が出社して身の回りを整えていると、同期の長野が顔を出した。 「例のPRの件、難航してるみたいだったからさ」  昨日午後にあった部内の会議で、大石が抱えている幾つかの案件の内、電子レンジ圧力鍋の広報活動内容について報告した際、若干の遅れを指摘されていたのだ。会議終了後、大石はレッスンがあり慌てて帰ってしまったので、同じ会議に出席していた長野が心配して朝イチで様子を見に来てくれた。 「ああ、まぁね…」 「どこで躓いてんの?」 「PRの協力を佐々木涼子先生にお願いしようとしたら、息子の佐々木和也先生に話を振られたんだよ」 「えっ!?何でまた?」 「先生いわく、この商品は先生の支持層向けじゃなく、若い人向けだから息子の方が向いてる、と」 「なるほど…」 大石は頷いて「でも…」と続けた。 「和也先生、話すのが得意じゃないんだよ…」 「えっ!先生なのに?」 意外な答えに長野が驚く。 「ああ、だから料理教室も8人と少人数だし、長く話す時は話す内容をメモしてるし、基本的に話しかけなければ自分から話す事はあまり無い」 「マジか…」 長野は腕を組み天を仰いだ。 華やかな表舞台で活躍する涼子の息子もまた、同じように立ち振舞いができると勝手に思い込んでいたが、実際そうではないようだ。 正直な話、涼子が言っていたように知名度に頼るのではなく、商品ターゲットに向けたPRをしたいから若手に変更したいと話を持っていけば、上司は頷いてくれるだろう。こちらは何とでもなる。問題は和也の方だ。 「他の若手料理研究家に振れば良かったのに…」 長野の呟きに大石は頭を振った。 「いや、何か涼子先生なりに考えあっての事かも知れないし、とりあえず話を聞いてくるよ」 「ああ。…でも、そんな悠長な事してていいのか?そこまでしてこだわる理由って…」 「お話中失礼します」 大石の部下が顔を見せたので、長野は「じゃぁまた」と自分のデスクに戻っていった。 「佐藤を連れてきました」 「ありがと、う…!?」 「えっ…!?」 大石と佐藤は顔を合わせた瞬間、余りの驚きに声も出せなかった。 「…課長?」 不思議そうに二人を見比べる部下に、大石は「悪いけどちょっと席を外してくれないか?」と部下を下がらせた。 「…どういう事か、説明してもらおうかな?」 デスク越しに向かい合い、翔真ににこやかに話しかけるが大石の目は笑っていない。引きつった笑みを浮かべていた翔真は、大石の鋭い眼光に射抜かれ観念したように話し出した。 「私と和に…和也先生は、親同士も先生とアシスタントという関係で、幼い頃から付き合いがありました。私自身も、涼子先生にはかわいがってもらい、和也先生とは兄弟のように育ちました。それで、今回の案件が来た時に涼子先生の顔が浮かんだんです」 「仕事の依頼を引き受けて貰えそうだったから?」 「正直な話、ツテを利用しようとした事は確かです。しかし、涼子先生は第一線で活躍する料理研究家で、先生にPRして貰う事で商品の注目度も上がると思いました」 「若い料理研究家を使おうとは思わなかった?」 「商品ターゲットと涼子先生の支持層に微妙にズレがある事は、先生に言われて初めて気付きました」 「…分かった。別件だが、うちの会社が副業禁止だというのは」 「勿論知ってます!だからお金は貰わず、契約書なんかも書いてません。アシスタントは本当にただの手伝いです」 「私事に踏み込むようで悪いが、何故?」 「ユーザーの様子を観察する事で、仕事の参考になると思ったからです」 「…なるほど」 若いが、彼なりに考えて行動していたようだ。 しかし、彼が涼子に仕事を依頼した事が今回のことの発端だ。上司から遅れの指摘もされている。早々に決着を着けねばならなかった。 「涼子先生へのアポは?」 「今日の16時です」 「分かった。夕方、宜しく頼むよ」 「分かりました、失礼します」 軽く会釈をすると、翔真はデスクに戻っていった。 (全然気付かなかった…) 同じ部屋に居たものの、課長職と若手の一社員では接点が殆ど無い。気付かないのも無理は無かった。 (しかし妙なものだな…) 仕事とプライベートで立場が逆転する。 苦笑いしながら大石は仕事に取り掛かった。16時にアポイントと言うことは、会社で仕事ができるのは15時までだ。熱い珈琲を一口飲むと、大石はパソコンに集中した。
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