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「佐藤君、手土産は?」
「バッチリです!涼子先生の好きな松花堂の最中買ってきました!」
「ありがとう。よし、行くか」
「はい!」
16時ちょうど、大石と翔真は涼子の自宅を訪れた。迎え入れた涼子は翔真だけが来た時とは違い、少々畏まった様子だ。
「どうぞ」
「「失礼します」」
通されたのはリビングだった。案内され腰掛けたソファの先には大きなダイニングテーブルがあり、その奥に対面式のキッチンがある。
翔真にとっては見慣れた光景だったが、初めて来た大石は辺りを一通り見渡した。
「かなり広いんですね」
「ええ、料理教室を始めた頃はここでレッスンをやっていたので」
涼子はにこやかに返しながら「どうぞ」と大石と翔真にお茶を出した。
「本日は忙しい中お時間を割いてくださり、ありがとうございます。これ、お口汚しに…」
大石が言うと、翔真が手土産の紙袋を涼子に差し出した。
「あら!松花堂の最中じゃないの。わざわざお気遣い頂いてありがとうございます」
嬉しそうな涼子の顔に、大石も翔真も少しだけホッとした。しかし大石は直ぐに居ずまいを正すと、表情を引き締めた。
「ご多忙かと思いますので、早速本題に入らせて頂きます。今回の電子レンジ圧力鍋のPRですが、大体の事はこちらの佐藤から聞きました。先ず、先生についてこちらに勉強不足な点があり、ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」
そう言って大石が頭を下げたので、翔真も慌ててそれに倣った。
「勉強不足だなんてそんな」と涼子は恐縮したように手を振った。
「ただ、私よりもっと適任な人が居るんじゃないかなと思ったんです。佐藤さんにもお話しましたが、商品的にもっと若い子がPRした方が説得力があるんじゃないかと」
「はい、先生の仰る事はごもっともだと思います…。なので、息子さんを推薦されたと」
「ええ。私より遥かに若いですし、小さい頃からこういった環境で育っているので場慣れもしていて、レシピ提案も勿論出来ます。料理研究家としての知名度はまだ低いですが、心配なら私の名前を出して頂いて構いませんので…」
「ありがとうございます。あの…一つお聞きしたかったんですが、他にも若手の料理研究家の方はたくさんいらっしゃると思います。そういう方達でなく和也先生にお話を振られたのは何故ですか?」
「え…?」
涼子は不思議そうに大石を見た。まるで、何故そんな事を聞くのだと言わんばかりだ。
「失礼ですが」と前置きして、大石は再び口を開いた。
「実は縁あって、少し前からプライベートで和也先生の料理教室に通わせて頂いていまして」
「えっ!あら!生徒さんだったの?!」
驚く涼子に、大石は苦笑いした。
「はい、こんなオジサンですが色々勉強させてもらってます。レッスン中に先生の様子などを拝見していて、沢山の人の前で話すのは実は苦手ではないかなと思ったんです。いつもレッスンの時に話す内容を事細かにメモしていらっしゃいますし、レッスン内容以外は余り自分からお話になりません…」
驚きを収めた涼子が、今度は真剣な表情で大石を見ている。
翔真は密かに大石の観察力に驚いていた。付き合いの長い自分ですらアシスタントをするようになってから気付いた和也の苦手な部分を、大石は月に数回のレッスンで見抜いていたのだ。
「ご自身の息子さんの事なので、苦手な事もご存知かと思いますが、先生が敢えて和也先生を指名なさった意図を知りたいのです」
話を聞き終わり涼子はチラリと翔真を見ると、翔真も涼子の方を見ていた。「話していないのか」と視線を送ると、翔真は弱々しく頭を横にふった。
「大石さん、凄い観察力ですね…そうです、和也は話すことが得意ではありません。だからこそ、成長のためにこの仕事を受けて欲しいと思ったんです」
改めて大石を正面から見て、ハッキリと伝えた。
「あの子は私の息子であることにコンプレックスを持っています…。何処に行って何をしても『佐々木涼子の息子』ということがついてまわる。実力もあるし、努力もしているのに、あの子自身をなかなか評価して貰えない。だから、いつまで経っても自分に自信が持てないでいるんです」
そう語る涼子は、母親の顔をして少し寂しそうに笑った。
「私事ですが…
和也がまだ小学生だった時に、離婚しました。まだ親に甘えたい年頃に父親と離れ、私の元で手伝いながら生活していて…和也には寂しい思いをさせて、本当に申し訳なく思いました。
だから、何が何でも仕事で結果を出そうと当時まだ駆け出しだった私は、翔真の…佐藤さんの母親と共に無我夢中で働いたんです。結果、沢山の方々に受け入れて貰え、色々な企業の方からお声をかけて貰えるようになりました。
でも、人気が出れば出る程和也を追い詰める事になってしまった…。
だから本当言うと、このお仕事も私の名前は出したくない…ごめんなさい、私事を挟んだ上に我儘言って。でも、いいチャンスだと思ったんです。苦手な事に挑戦して、それを乗り越える事で和也には自信を持って貰いたかった」
「涼子先生…」
大石は何と言っていいか、言葉が上手く出て来なかった。子どもの居ない大石にも、和也を思う涼子の気持ちが痛いほど伝わってきたのだ。
考えた末、大石は口を開いた。
「そうやって、『涼子先生の息子』と言われ続けながらも、和也先生は涼子先生と同じ料理の道を選ばれました。他にも、選べる道はいくらでもあった筈です」
「それは、私が料理しか教えてこなかったから…」
「私は、和也先生が本当に追い詰められて涼子先生の事を嫌っているのだったら、どんなに大変でも他の道を選んでいたと思います」
ハッとしたように、涼子は目を見開いた。
「仕事が楽しい…和也先生は、こう仰っていました。それは、涼子先生の働く姿を見てきた和也先生が、ご自身で料理の道に進む事を決めたから感じられる事なのだと思います。やらされていると感じていたら、『楽しい』気持ちは生まれてきません」
「大石さん…」
普段は強い光を放つ涼子の瞳が揺れていた。
見たことの無い涼子の表情に、翔真は驚き目が離せなかった。翔真の視線に気付いた涼子が、しんみりした雰囲気をパッと変えるように翔真を見てニヤリと笑った。
「そう、佐藤さんにも成長して欲しくて」
「え?」
大石も翔真の方を見る。
「一応は色々考えてきたみたいだけど?結局はツテを使おうとして詰めが甘かったから、和也にこの仕事を受けて貰えるように説得してみなさい、ってこの前来た時に伝えたんです。ね?佐藤さん?」
「え、あ、は、はい…」
冷や汗をかきながら愛想笑いを浮かべる翔真を見て、大石は小さく溜め息をついた。
「先生のお気持ちはよく分かりました……私達で和也先生を説得してみます」
「えっ」
大石の意外な言葉に、涼子と翔真は大石を見た。
「佐藤にはまだ未熟な部分が多々あります。私自身も浅学非才な身ではありますが、協力して何とか和也先生にお仕事を受けて頂けないかお願いしてみます」
「…!」
大石と涼子は暫くの間、お互いをじっと見ていた。翔真がその様子を固唾を呑んで見守る。
「分かりました。色々ご無理言ってすみません、宜しくお願いします」
沈黙を破った涼子がふっと表情を崩し、張り詰めていた空気が緩む。翔真はようやく息をする事ができた。
「あっ、私がこうやって言ってたって事は和也には内緒でお願いしますね」
「分かりました」
悪戯っぽく笑う涼子に、大石も微笑み返した。
「本日はありがとうございました」
帰り際、大石が玄関で改めてお礼を言うと「こちらこそ」と涼子が微笑んだ。
「あ、そうそう。生徒として、和也のレッスンはどうですか?」
「レッスンですか?とても分かりやすく、何より気配りや心配りが素晴らしいと思います。幼い頃から涼子先生のお手伝いをされていたからでしょう。他の生徒達からも評判良いですよ」
「そう、ありがとうございます…」
言葉こそ少なかったが、涼子の顔には嬉しさが滲み出ていた。キリッと表情を引き締めると、今度は翔真の方を見た。
「いい?大石さんに迷惑かけちゃだめよ?」
「はぁい」
まるで叱られた仔犬のような翔真の様子に、大石は思わず笑ってしまった。
「今日、大石さんが来てくれて良かった…」
「え?」
「いいえ。では、宜しくお願いします」
「はい!結果はまたご報告致しますね。それでは失礼します」
大石と翔真はお辞儀をすると、涼子の家を後にした。
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