味見をどうぞ

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(17時か…) 涼子の自宅からの帰り道、大石は腕時計を見ながら翔真に話しかけた。 「佐藤くん、今日はレッスンが無い日だったよね?」 「え?あ、はい」 「アポ、取れるかな?」 「やってみます」 今から行くのかと翔真は少し驚いたが、この勢いのまま和也の元へ出向き話をすれば何とか行けそうな気もする。 スマホを取り出すと道の端に寄り、和也の番号を呼び出した。往来の中、上司に見守られながらの電話は少し緊張する。数回のコールの後、和也に繋がった。 「もしもし」 「翔真?どうしたの?」 「あの、ちょっと和兄に話したい事があって」 「何?」 「電話じゃあれだから、今から出て来れる?」 「えっ!?今から?今日じゃなきゃ駄目なの?」 「うーん…できれば早い方が良くて」 「今ちょっと調理中で火使ってて、途中に出来ないから家来て貰っていい?」 「えっ…あー…うん。大石さんも一緒なんだけど」 「えぇ?!」 今まで聞いたことの無いような和也の大声に、翔真は危うくスマホを落しそうになった。大石を見ると「代わって」と手を差し出され、恭しくスマホを差出した。 「もしもし先生、大石です。驚かせてしまい申し訳ありません。ご迷惑なのは重々承知しておりす…先生が宜しければ、急ですがお時間を少し頂けないでしょうか?」 いつも丁寧な口調の大石だったが、今日はやけに畏まった様子だ。しかも翔真と一緒に居る。和也は眉間に皺を寄せた。 (何がどうなってるんだ…?) とりあえず、会って話を聞けば全て分かるだろう。  「……分かりました」 「ありがとうございます!今の場所からだと30分くらいでそちらに着くと思いますが、大丈夫でしょうか?」 「大丈夫です」 「それでは後程…失礼致します」 和也が通話を切ったのを確認し、大石もスマホを離し翔真に渡した。 「ありがとう。今から和也先生の家に向かおう」 「分かりました!」 何て頼もしい上司だろう。 翔真は尊敬の眼差しで大石を見ていたが、大石は内心、複雑な気持ちでいっぱいだった。 和也の気持ちと涼子の気持ちを知っているゆえ、板挟み状態だ。どちらも共感できるし、無下にはできなかった。そこへ、仕事の話である。 (どう話を持っていくか…) 和也と会うまでの30分、移動しながら大石は考えを巡らせていた。 ―ピーンポーン 「はい…」 翔真に案内されてやってきた和也の自宅は、アパートの一室だった。インターホンを鳴らすと直ぐにドアが開く。迎え入れた和也は笑顔だったが、何処か表情が固かった。 「どうぞ」 「今日は突然押し掛けて申し訳ありません…失礼します」 「失礼します」 和也の部屋は入って直ぐキッチンのある部屋に食事用のテーブルと椅子があり、更に部屋の奥に引戸があった。恐らく寝室だろう。独り暮らしには広めの1DKの間取りだった。 椅子に座るよう勧められたが、キッチン横のテーブルは椅子が2脚しか無かったため大石と翔真は立ったままでと話を切り出した。 「先ず、今日は時間を作って頂きありがとうございます」 「いえ…」 いつもと明らかに違う大石の様子に戸惑いながら、和也は二人と向かい合った。二人は鞄を置くとスーツの内ポケットから名刺を出し、和也に差し出した。 『株式会社TOMOE 広報部 課長 大石直樹』  『株式会社TOMOE 広報部    佐藤翔真』 「え…っ?!」 和也は驚いたように名刺と二人を交互に見ている。無理もない。和也は普段生徒としてレッスンに参加している大石しか知らない。翔真の勤め先は最近聞いたばかりで知っていたが、大石と一緒だとは言っていなかった筈だ。 「驚かれましたよね…」 大石は苦笑いした。 「隠すつもりじゃなかったんだ…じゃなくて、無かったんです…」 必死に弁解しようとした翔真が、今は上司の前で、これは仕事の話だと思い出し、慌てて口調を改めた。大石も翔真の弁解を補足する。 「私も彼と同じ部署でしたが、社内では殆ど面識はありませんでした。だから、レッスンの時も全く気付かなかったのです」 隠された訳ではない、全くの偶然に驚き戸惑いながらも和也は何とか状況を飲み込んだ。 「なるほど…それは分かりましたが、今日は何故揃って僕の所へ?」 和也に尋ねられ、大石と翔真は顔を見合わせ頷いた。翔真が鞄から書類を取り出し和也に手渡した。 「電子レンジ圧力鍋…?」 不思議そうな顔で資料に目を通す和也に、翔真は単刀直入に要件を伝えた。 「弊社から新しく発売予定の商品です。こちらのPRに、佐々木先生の協力をお願いしたく伺いました」 「えっ?!」 和也の表情が、みるみるうちに険しいものになっていく。それに気付きながらも、翔真は一気に内容を話した。 「詳細としましては、こちらの商品を使ったレシピの提案、商品発表の場でのデモンストレーションです」 「いや、ちょっと待って!」 内容を聞いて、珍しく動揺した様子で和也は翔真の説明を止めた。 「何で僕なの!?こういう仕事なら母さんの方が…」 翔真は怯まず話を続けた。 「こちらの商品は電子レンジで手軽に使える上、低価格で容量も少く、ご家庭を持つ主婦の方々より、若い単身者の方や二人暮らしの方にお勧めしたい商品です。なので、支持層の大半が主婦の涼子先生(・・・・)より和也先生(・・・・)が適任だと思ったのです」 改まった翔真の話し方に、これは馴れ合いでなく正式なビジネスの依頼なのだと実感させられる。向こうも本気だ。だったら、尚更和也は自分にはこの仕事は相応しくないと思った。 「…申し訳ありませんが、この仕事はお受け出来ません」 目を伏せて資料を翔真に押し付けながら、言葉だけは丁寧に断りを入れた。 「僕には向いていない…もっと、他の若い料理研究家の方に」 「…一緒に、」 「え…」 「一緒に頑張ろうって言ったじゃん!」 「何でそんなにあっさり断るんだよ!」と突然の翔真の大声に、和也は弾かれたように顔を上げた。大石も驚いたような顔で翔真を見ている。感情が昂ぶった翔真は自分が気付かぬ内に言葉遣いがいつも通りに戻っていた。 「使う道具で人を笑顔にしたい、料理の楽しさを伝えたいって俺話したよね?!その時に和兄、『一緒に頑張ろう』って言ってくれたじゃん!あれ、すげぇ嬉しかった!これは俺が開発した商品じゃないけど、いっぱい宣伝して、沢山の人に使って貰って笑顔になって欲しいと思ってる…だから、同じ気持ちを持つ和兄と一緒に仕事したかったんだ!」 「翔真…」 苦しかった。 和也は奥歯を噛み締め、拳を固く握った。 翔真の気持ちが、痛いくらい伝わってくる。出来る事なら協力したい。人気や知名度アップなどは興味が無いが、自分自身も、自分の考案したレシピで人を笑顔にできるチャンスなのだ。 暫しの沈黙の後、和也は俯いてポツリと呟いた。 「…怖い」 飲み込まれそうな数の人、喧騒から聞こえる無数の声。常に周りの大人の目を気にしていた過去。気付いてもらえない自分の声、孤独。 色々な物がないまぜになって、押し寄せてくる。 いつしか拳は震え、その内側には汗が滲んでいた。 「和也先生」 その握りしめられた拳を、大石が両手で包み込んだ。和也が驚いて顔を上げる。 「先生が、様々なものを抱えていらっしゃるのは、重々承知しております…その上で今日、お願いに上がりました」 大石は揺らぐ和也の目をしっかりと見た。 「勿論、他の先生にお願いする事もできました。他の先生ならよっぽどの事が無い限り断られる事はありませんし、我々も気が楽だ。 和也先生は断るかも知れない。でも、それでも先生にお願いしたかった。私達は先生を苦しめる為に来た訳ではなく…同じ志を持つ先生と仕事がしたくて来たのです」 「でも、僕…」 「たくさんの人の前で話すのは怖いですか」 和也は黙って頷いた。 「では、こうしましょう。私も一緒に商品発表会の場に立ちます」 「え…どういう事ですか…?」 これには翔真も驚いていて、思わず大石の方を見る。 「商品発表会の場で私が生徒になりますから、先生は『いつも通りのレッスン』を『私』にして下さい。それで立派なデモンストレーションになります」 「それなら怖さも多少は和らぐでしょう?」と微笑んだ。 「でも…!」 いくらメディアに疎い和也でも、タレントでもない会社の管理職の人間が商品発表会の場に立つなど聞いたことがない。躊躇う和也の拳を、ギュッと握った。 「先生のためなら…それで、先生と一緒に仕事ができるなら、私は何てことありません」 「大石さん…」 「和兄!一緒に、料理の楽しさを伝えよう?」 「翔真…」 「……分かりました」 二人の真剣な説得に、和也はとうとう頷いた。 この仕事をやり遂げたら、何かが変わるのだろうか。 否。 「ありがとうございます!」 「ありがとう!和兄!」 何も変わらないかも知れないし、変わるかもしれない。 でも、動かなければ何も起こらないことだけは確かだった。 大石と翔真の熱意は、和也の気持ちを動かした。 ならば、自分も勇気を出して行動してみたら何かが変わるのかもしれない。 不安と、ほんの少しの期待を込めつつ、和也は二人にぎこちなく微笑んだ。
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